お節料理は家庭の文化 | 認定NPO法人 環境市民

お節料理は家庭の文化

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<お節料理は家庭の文化>

実家では、お節を作るのはずっと祖母の役目だった。
料理上手の亡母もそこには手を出さず、サイドメニューの
担当を引き受けていた。母亡き後、ぼうだらは姉が、黒豆は
私が引き継ぎ、それだけは姉妹で作ってきた。
5年前、12月に祖母が体調を崩したので、負担を減らそうと
実家のぶんのお節づくりをがんばってみたが、結局は祖母も
作ったために無駄骨になった。祖母の気概だったのだと思う。

そんな祖母も95になり、ついにお節づくりから引退した。
今年は実家のお節は、姉夫婦が中華風のお節を購入していた。
ぼうだらを炊くことも、姉はしていなかった。

うちのお正月は、夫の実家でお節をご馳走になった。
やはり購入したものだった。

いつからお節は買うものになってしまったのだろう。
祖母の世代がやめてしまえば、もう受け継ぐ人はいないのか。

市販のお節は、甘過ぎてやわらか過ぎた。ピンクや緑の餃子、
真っ黄色の焼売、真っ赤なサクランボが入っていた。見た目
は美しかったが、あまりおいしいとは思えなかった。

二人暮らしの夫がお節を嫌うので、私に作るチャンスはまだ
めぐってこない。それでもやはりやりたくて、七福なますと
黒豆ときんとんだけは作った。母から受け継いだ京風お雑煮
も作った。
実家に届けたところ、高いお金を出したお節より、それらが
一番おいしかったと姉が言ってくれた。むしろ当然だろうと
思う。幼い頃から慣れ親しんだ母の味なのだから。

それぞれの家庭に受け継がれた味、家庭の文化、それが具現
するのがお節料理だろう。年々、お正月らしさが消えていく
日本だが、失いたくないと思う。
子宝を授かったなら、夫が嫌がろうと、お節を作りたい。
次の世代に祖母の味と母の味、我が家の文化を伝えたいから。