第9回京都・環境教育ミーティング 堀 基調講演要旨 | 認定NPO法人 環境市民

第9回京都・環境教育ミーティング 堀 基調講演要旨

このコーナーは,2002年から2013年まで環境市民の事務局長を務めた堀孝弘が,在職時に書いたブログを掲載しています。

第9回 京都・環境教育ミーティング 基調講演 要旨

持続可能な社会づくりに必要な環境教育とは
〜第一線の研究者・実践者を訪ねて見えてきた、広め、高め、根付かせることの重要性〜

特定非営利活動法人 環境市民 堀 孝弘

序.私の紹介 こんなことをやってきた人

序-1 私のプロフィール 環境教育の専門家ではなく、環境活動の実践者
現在の役職(2013年3月2日現在)
環境市民事務局長 京都グリーン購入ネットワーク事務局長
京都精華大学人文学部非常勤講師 龍谷大学大学院政策学研究科 非常勤講師
他、京都市ごみ減量推進会議理事 京都市廃棄物減量等審議会委員 など肩書きは多数

自治体の環境基本計画の策定コーディネートや、企業のCSR(社会的責任)を高めるための働きかけや、市民・消費者向けの環境活動などを企画・実践してきた。
環境教育に関する実績では、京エコロジーセンター主催の「環境教育リーダー養成講座」のコーディネーターを11年務め、うち6年は総合コーディネーターを勤めてきた。
2001年秋、スウェーデンの「グリーンフラッグ」取得校など小中学校4校の視察をし、帰国後「学校の先生のための環境教育セミナー」を開催するなど、結構昔から環境教育をテーマにした活動をしてきた。最近では、「第55回全国高等学校家庭科実践研究会(京都大会)」の全体会で、高校の先生200人を対象に「家庭科が大好きになる環境ワークショップ」の講師を務めるなどした。
また、京都市内の5つの大学で、通算15年講師も務めてきたし、2002年には、京エコロジーセンター館長の高月紘先生と共著で、子ども向け環境教育の本(やってみようエコチェック、講談社刊)を書かせてもらったり、1996年には、子ども向けメデイアの暴力とキャラクター玩具の買い替え促進について警鐘した本(日本のおもちゃ・アニメはこれでいいのか 地歴社刊)を著し、日本図書館協会選定図書にもなった。
しかし私は、環境教育の専門家ではない。あくまで環境活動の実践者。環境活動の実践で得た経験や情報を環境教育に活かしている。

序-2 20年前「環境教育?なにそれ? でも、それや!」と思った
私が環境活動に関わったのは1980年代後半。当時の環境活動と言えば大半が「開発反対運動」。貴重な自然を守る、乱開発を許さないなど、京都近辺には多くの活動があったが、当時それらのほとんどに顔を出していた。
しかし虚しさも感じていた。時代はバブル絶頂期。貴重な自然を守ることができても、自宅の前の田畑は何気なく潰されていく…。コンクリートやアスファルトで埋められ、駐車場やマンションになる。そのことに誰も声をあげない。また、開発反対運動は、乱開発をやめさせ、かろうじて現状維持はできても、環境をさらに良くすることはできない(難しい)。
そんな中、行政、事業者、市民の環境意識を全般的に高めていくことの重要性を感じた。全般的な環境意識の向上を考えるとき、「環境教育」という言葉に出会った。当時は「環境教育、なんじゃそれ?」という感じだったが、一方「それや!」とも感じた。当時、「行政、事業者、市民の環境意識を全般的に高めていく」なんてことを考えていた団体は、設立されたばかりの環境市民しか見られなかった。開発反対運動から距離を置くことで、時にはお叱りを受けることもあったが、以降、環境市民をベースに活動を進めていた。

1. きっかけは「環境教育学」

1-1 環境教育学の問題提起
2012年4月、「環境教育学〜社会的公正と存在の豊かさを求めて〜(法律文化社、以下「環境教育学」) 」が出版された。続いて、2012年7月7日には、京都精華大学学内で、「環境教育学」の編著者らによる公開シンポジウム「環境教育をラディカルに問い直す(以下、「7.7シンポ」)」が開催された。
ここで、環境教育のあり方や今後について、下記の問題提起や指摘がなされた。

《現在の環境教育の問題》
・「私たちの社会は、環境面での持続可能性が保たれる状況から大きくかけ離れているものである。ここで求められる環境教育とは、どのようなものであろうか。それは、「身近にだれでもできることから」のスローガンのもと、家庭における節電などのこころがけを奨励するといったものではありえない。なぜなら、そうしたアプローチは、数量的に意味をなさず有効といえないからである。そして、そればかりか、ほんとうに持続可能性に向かうために必要なことから私たちの目をそらす危険性をもっているからである。(第1章p.17)」
・「現状多く見られる〈環境教育〉は、現在の非持続可能社会の再生産や追認の役割を担っている。(7.7シンポ)」 など…

《環境教育の目的・役割》
・「環境教育は、社会批判や社会参加といった要素を軸に、人びとが実際の低炭素化に向けた社会変革の取り組みにかかわっていくことを支援できるものでなければならない。(第1章p.17)」
・「環境教育の目的は、持続可能な社会に向けて、社会構造の変革を促すもの。(7.7シンポより、以下も)」
・環境問題の解決だけが環境教育の目的ではない。環境持続性、社会的公正、存在の豊かさを実現する「変革」の力となる。そのための社会的批判性を環境教育は持ちうる。」
・「これからどのような社会をつくるか、変革を起こす。そのための環境教育。」

1-2 我が意を得たり と そこまで言っていいの!
「環境教育学」と7.7シンポから発せられた問題提起の多くは、これまで私が感じてきた環境教育の問題を言い表したものだった。その一方、自然分野、暮らしの分野、多くの環境教育実践者が、それぞれの分野で、それぞれ工夫したプログラムを実施している姿も知っている。そういった姿を知っているだけに、「そこまで言っていいの!」という思いもあった。
以下、「我が意を得たり」と「そこまで言っていいの!」について、感じたことを述べる。

2. 我が意を得たりの意味は

2-1 そもそも環境問題って、どうして起きるの?
「環境」という言葉の語源は、古代ギリシャの「オイコス」と言われている。「人のまわりにあるもの」という意味で、生態学と経済学、共通の語源とも言われている。
オイコスには、自然だけでなく、自身を取り巻く集落や氏族も含まれていたらしいが、ここでは現在の「環境」と同じ意味で使うことにする。
オイコスは、暮らしに必要なものを与えてくれて、人が排出したものを受け入れてくれた。もともと、人間の暮らしの規模が大きくなかったときは、人がオイコスに悪い影響を与えることはなかった。やがて大規模な耕作を始め、都市の出現、大航海時代、産業革命をへて、「環境」は人が排出するものを受け止めきれなくなった。
世界を見渡せば、人口爆発は勢いを増している。気候変動や世界的な水不足、中国をはじめ途上国での深刻な大気汚染や水汚染。鉱物資源の枯渇、生物の絶滅、森林の減少など、挙げだしたらキリがない。

2-2 私たちの暮らしを起点に考えると
私たちの暮らしは、自然界からの原材料の採取、加工、製品づくり、移送、製品・サービスの販売によって支えられ、選択(購入)、消費、排出を日々繰り返している。排出の後にも、リユース、リサイクル、処分など、様々な仕組みが暮らしを支えられている。
自然の保全的利用、環境に配慮した事業活動、消費者のライフスタイル、行政による環境施策、途上国への環境支援など、社会のあらゆる場面で環境配慮行動が必要になっている。そのことは、将来世代だけでなく、事業者、行政職員、消費者など、あらゆる年代や階層が環境教育の対象になることでもある。
ところで、自然保護と自然保全の違いって、ご存知だろうか?(略)

2-3 個々人の意識向上の先にあるもの
先に述べたように、自然が受け止めきれなくなった「人間の影響(環境負荷)」を、自然が許容できる(回復可能な、再生可能な)範囲につくり変えることが、現在の人間に課せられた大きな課題であり、環境教育はその「変革・転換」を促すことが目的だと言える。つまり、個々人の環境意識の向上への寄与は、環境教育にとって大きな成果だが、その先には、まだ大きな山が幾つもあるわけである。
そういった意味で、先ほど紹介した「環境教育学」の問題提起は、“我が意を得たり”だった。

2-4 子や孫が安心して暮らせる社会(持続可能な社会)づくりへ
環境が良好であれば、それだけで将来世代が安心して暮らせるわけではない。雇用創出や賑わいのあるまちづくり、安全・防災など様々な課題がある。背後に、少子高齢化、労働人口の減少、地方都市をはじめ中心市街地の衰退、中山間地の限界集落化、エネルギーや食料の自給率の低さなど、深刻な問題が山ほどある。さらに、一昨年の東日本大震災と、それに伴う原発事故の影響が今も重くのしかかっている。
こういった問題も、環境問題とまったく無縁ではない。となると、環境教育が対象とする分野は、実に広い。

3. そこまで言っていいの! とは

3-1 環境教育は成果をあげてきた。でも何か足りない
この20年、多くの人の努力で、様々な環境学習プログラムが開発され、懸命に取り組まれてきた。そういった努力を、生で数多く見てきた。「環境教育学」の問題提起は、そういった成果を否定するものでは決してないが、実践者のなかに否定されたと受け取る人がいないか、心配する。
2006年には環境教育基本法も制定された。教育現場との協力、協働でも、まだまだ壁はあるが、大きく前進してきた。でも環境教育の成果として、社会が変わりつつあるという実感は乏しい。
何が足りないのだろう。

3-2 バラバラな感じ 自然は自然、暮らしは暮らし…
それぞれの実践者は、工夫して素晴らしいプログラムを実施・実践している。しかし、バラバラな感じがする。
「自然は自然」「暮らしは暮らし」「エネルギーはエネルギー」など。それぞれの分野の実践者同士は、お互いをよく知っていても、他分野の取り組みは知らない、といった状況をよく見る。
同じ分野でも、「子ども」「事業者」「生活者(生活者のなかでもシニアや若いお母さん層など)」など対象層や、「きっかけづくり」「担い手づくり」「社会制度を変える働きかけ」など、取り組みの深さの違いもある。
分野が違う、対象層が違うと、他のプログラム等の動きに関心を持たない人も、なかには見られる。

ひとつのエピソードを紹介する。昨年は、レイチェル・カーソンが「沈黙の春」を発刊して50周年だった。
記念イベントなどが行われたが、今年2月2日京エコロジーセンターで開催された助成活動報告会で、レイチェル・カーソン日本協会理事長 原強さんから、「レイチェル・カーソンファンには、『沈黙の春派』と『センス・オブ・ワンダー派』がある。後者のなかに『沈黙の春』を知らない人も多い」とのご紹介があった。

3-3 現状バラバラ。ではどうすればいい
個々のプログラムに限界があるとしても、数多あるプログラムをつなげるのは無理であり、それぞれの実践者の創意工夫の賜物であるだけに、ムリにつなげる必要もない。しかし、つながりを持たせることはできるのではないか。
「つながりを持たせる」役割は、誰が、どのように担うのか。この疑問だけでなく、も7.7シンポの後、自分のなかの環境教育観を整理したいとの思いが湧いてきた。疑問を感じたなら、第一線の研究者や実践者に尋ねてみよう。

3-4 疑問を感じたら、第一線の研究者や実践者に尋ねてまわろう
下記4氏に、2012年8月9日から24日にかけてヒアリングは実施した。
・「環境教育学」の編著者の1人、京都精華大学の井上有一教授。
・京都市の環境教育施設である京エコロジーセンターの高月紘館長。
・シティズンシップ教育について、イギリスおよび国内事例を研究され、多くの論文や著書を著している京都教育大学水山光春教育学部教授。
・日本の小学校で初めて国際的な環境教育認証「グリーンフラッグ」を取得した兵庫県加西市立西在田小学校において、取得に至るまでのコーディネートを務めたNPO法人環境市民の下村委津子理事。

4. 第一線の識者・実践者を訪ねて
各氏へのヒアリング内容の詳細は、末尾「資料」参照

4-1 京都精華大学 井上有一教授へのヒアリング
井上氏は前述のように、「環境教育学」の編著者の1人。同書と関連して実施された「7.7シンポ」で賛意を感じながらも、疑問として感じた下記について尋ねた。
(2012年8月9日午後、京都精華大学学内 井上研究室にて)

《井上教授への質問 →ヒアリング詳細は末尾に「資料」として別添》
Q1 「身近にできること」の呼びかけにとどまる〈環境教育〉は、意味を持たないか。
Q2 社会批判や変革を伴う『環境教育』の実現を、現在の教員たちは担えるだろうか。
Q3 市民セクターへの期待は、行動力と心情だけか

《井上教授へのヒアリングから得られたこと》
・「未来の当たり前(ビジョン)」に向かう、スタートとしての「身近にできる環境行動」の重要性
・市民セクターと教育現場の連携の重要性
・公害教育の経験を、現在の環境教育に活かすことの有用性

著作の調子よりは、ずっと柔軟に考えてられることがわかった。きっかけづくりの大切さ、そして公害教育の経験を、今の環境教育の中にもっと採り入れるべき、との考えを示された。井上氏へのヒアリングで、「そこまで言わんでもいいやん」といった思いは払拭できた。井上氏へのヒアリングの後、半月の間をあけて実施した高月氏、水山氏、下村氏の3氏へのヒアリングでは、これからの環境教育はどうあるべきかを尋ねた。

4-2 京エコロジーセンター 高月紘館長へのヒアリング
個々の学校教員が「時間がない」「情報がない」ために、環境教育を深めることができないのなら、京エコロジーセンターのような公共の環境教育拠点施設が、個々の教員にかわってそれがないか。高月紘氏 には、このような問題意識のもと、公共の環境教育拠点施設の可能性と限界について尋ねた(ヒアリング実施日2012年8月21日午前)。

《高月館長への質問 →詳細は末尾「資料」参照》
Q1 高月館長が考える『環境教育』の全体像、イメージをおしえていただきたい。
Q2 京エコロジーセンターのように行政が関係する施設での環境教育の問題点と、今後の環境教育がどうあるべきとお考えか
Q3 京エコロジーセンターが、環境問題に関心を持ってもらうための「入り口」を担っているとすれば、その後の環境教育および環境行動の深化はだれが、どのように担うのか。

《高月館長教授へのヒアリングから得られたこと》
京エコロジーセンター高月紘館長のヒアリングを通じて、公的な施設として様々な立場への配慮が必要で、発信内容等に限界があるものの、多くの人、特に子どもたちに「気付き」の機会を提供できるというポテンシャルの大きさをあらためて確認した。

また、京エコロジーセンターのような施設が、教育現場と民間セクターをつなぐ役割を果たせること、環境NGOや企業など民間セクターとの協働によって、環境NGOや企業の情報発信の機会を拡大する支援ができることなども確認できた。

 

4-3 京都教育大学 水山光春教授へのヒアリング
教員(学校教員以外の環境教育指導者も含めて)が、現状の〈環境教育〉に飽きたらず、環境教育を深めていくのは、時間的にも、情報面でも、現状多くの制約があり難しい。しかしながら、イギリスなどで普及・実践されている「シティズンシップ教育」が浸透すれば、環境教育に限らず、様々な分野の教育を深め、社会発展を促す力になるのではないかとの思いが浮かんだ。
この点、シティズンシップ教育について、イギリスおよび国内事例を研究され、多くの論文や著書を著している京都教育大学水山光春教育学部教授に尋ねた。(実施日2012年8月22日午後 京都教育大学学内 水山研究室内)

《水山教授への質問 →詳細は末尾「資料」参照》
Q1 シティズンシップ教育とは、どのようなものか。必要とされた背景は?
Q2 これまでの成果・評価 周辺国への波及
Q3 シティズンシップ教育とは、どのようなものか。道徳との違いは何か
Q4 日本にシティズンシップ教育は必要か。
Q5 日本でシティズンシップ教育の導入・普及は可能か

このうちQ3の「シティズンシップ教育とは、どのようなものか。道徳との違いは何か」についてピックアップして紹介したい。

A 日本では社会科の一部、または道徳の一種と見なす人もいるが、それはまったくちがう。イギリスにおいて、シティズンシップ教育に使われる一般的なテキストのなかに、以下のような設問がある。「あなたの家や学校の近くに、自動車の通行の多い道路がある。そこには大型のタンクローリーなどが走り、騒音と排気ガスの臭さは大変なものである。こんなとき、あなたたちが採り得る選択肢は何か」といった内容である。状況の説明につづけて幾つかの選択肢が並べてある。


・請願書を書く。
・(窮状を訴えながら)行進する。
・市役所などに電話をかける。
・(大型トラックなどの)所有者に苦情を言う。
・道路に寝そべって、大型トラックの通行を妨害する。
・何らかの方法で、大型トラックにダメージを与える。
・もっと徹底的な方法を考える。
これらの選択肢のうち、下の3つを見るとシティズンシップ教育が「道徳」では決してないことがわかる。日本ではとかく「選挙に立候補する」とか「投票する」など,間接民主主義に基づいた時間のかかる選択肢が奨励されるが,英国では「そんな悠長なことをしていて,目の前の危機は救えますか」と問われたりする。また,人の健康や平穏な生活の維持のためには、経済活動を制限することも選択肢としてあり得ることを子どもたちに示すなど、イギリスで実践されているシティズンシップ教育は、社会の批判的発展に寄与するものでもある。
もちろん、シティズンシップ教育では「「社会規範をいかに構築し、維持するか」といった、道徳と通じるテーマも扱う。それを「守るシティズンシップ教育」と表現できるが、それだけがシティズンシップ教育ではない。社会問題に向き合い、新たな社会のあり方を考える「作るシティズンシップ教育」もある。

《水山教授へのヒアリングから得られたこと》
水山教授へのヒアリングから、シティズンシップ教育の導入と浸透によって、教育現場が社会問題に向き合い、解決策を考え、行動を生み出していく場になり得る可能性があることがわかった。ただし、そのためにも、水山教授が言うように「守るシティズンシップ」だけでなく、「作るシティズンシップ」を社会に広める必要がある。

4-4 環境市民 下村委津子理事へのヒアリング
下村氏は、2012年3月、日本の小学校で初めてグリーンフラッグを取得した兵庫県加西市立西在田小学校で、取得に至るまでのコーディネートを務めた経験をもつ。グリーンフラッグとは、学校での環境活動に対する国際的な認証である。クラス単位ではなく、学校全体をあげた環境活動で、一定のプログラム(エコスクールプログラム)に取り組み、6ヶ月以上の活動継続ののち申請し、審査のうえ、成果をあげたと認められた学校にグリーンフラッグが授与される。
グリーンフラッグを取得した西在田小学校と、グリーンフラッグの取得に至らなかった学校との違いをみるなかで、環境教育の継続な向上にグリーンフラッグ がどのような寄与ができるか見えてくるのではないだろうか。(実施日2012年8月23日 NPO法人環境市民事務局内)
グリーンフラッグについて詳細は、この後206号室での「国際的な環境教育プログラム認証グリーンフラッグを広める取り組み」で紹介された。

《下村氏への質問 →詳細は末尾「資料」》
Q1 地域と連携した環境教育は、どのように実現できるか。
Q2 地域と学校現場の連携に必要なものは何か
Q3 NGOやNPOと組むと言っても、NGO・NPOにも様々ある。どのようなNGOと組むかによって、プログラムの質がかなり変わってくると思うがどのようにお考えか。
Q4 グリーンフラッグを取得した西在田小と、それ以外の学校の違いは
Q5 小学校に限らず学校には在校期間があり、子どもたちはいずれ卒業していく。継続のためどのような工夫があったか。
Q6 グリーンフラッグは社会の批判的発展に寄与するか
Q7 コーディネーターが入る意味・意義は

このうち、Q6「グリーンフラッグは社会の批判的発展に寄与するか」をピックアップして紹介する。
A たとえば、地元の若井川を見てもコンクリートで3面張りされている。その状況をみて、自然な川にするにはどうしたらよいか考え、議論していくなかで、管轄しているのが加古川西部土地改良区 であることがわかると、「ならばそこの人を呼ぼう」ということで学校に招いた。
詳細なやり取りは、別紙資料を見てもらいたいが、来校した改良区職員と子どもたちとの対話は、子どもたちが望む未来をどのようにすれば実現するか、といったものだった。
こういった議論は、子どもたちのモチベーションを高めるとともに、大人たちが作り出した社会の後始末としての環境行動を促す環境教育ではなく、社会のあり方、地域の環境そのものも変えていこうとする動きを創出するものである。
この場合、川を例にあげたが、「コンクリートの3面張り」「限られた生き物しかいない」「投げ込みごみが多い」「川に入れない」などの現状に対して、一途に「ごみ清掃」や「川の美化呼びかけポスターの作成」などを子どもたちに求める『環境教育』もある。それだけを続けても根本的な解決にならないだけでなく、ごみ清掃やポスター作成が目的化してしまう懸念もある。ビジョンをもち、常にそれを意識することで、活動の質を高めていくことができる。

《下村氏へのヒアリングから得られたこと》
子どもたちの自発性を引き出し、自ら描いたビジョンを実現するためのプログラムづくりと実行の大切さ。在校期間が限られている子どもたちに、「活動の継続や発展」を求めるのは難しいことではあるが、「できるんだ」「ということがわかった。
日本の小学校ではまだ普及していないグリーンフラッグ(エコスクール)だが、「身近にできる環境行動」にとどまらない、本来の環境教育を実現するための枠組みとして活用できそうである。


 

5. まとめ 広め高め、さらに3次元的プログラムへ

5-1 4氏のヒアリングから「すごいもの」を予感
4氏のヒアリングを通じて、公的な環境教育施設が、多くの人に環境問題に関心をもつきっかけを与えるとともに、学校と地域で自発的に環境教育プログラムを開発し、実践している団体等とをつなぐ役割を担うことができる。
シティズンシップ教育は、社会の現状に対する理解・把握を促し、その追認ではなく批判的な解決能力を高める可能性の大きさが感じられた。
「グリーンフラッグ」を理念通りの推進ができた場合、現状追認や、後始末的な環境行動だけでなく、根本的な解決に向けた行動を促すことができる。子どもたちにも地域にも大きな成果をもたらすことができると感じた。また、「きっかけ」から「担い手づくり」「社会の仕組みづくり」など、内容の深さ、
4氏へのヒアリングを通じて、それぞれの施設、プログラムの特性を活かせば、「すごいもの」ができるのではないかという予感を得た。

5-2 バラバラな取り組みをコーディネートする存在
自発的実践者は、それぞれが自身の手が届く範囲で活動するのが手一杯で、取り組みもバラバラ、情報も断片的にならざるを得ない。実践者は、それぞれ関心があり、得意な分野で環境教育に取り組んでいる。そのため、それぞれのプログラムをつなげる必要はない。
しかし、同じ分野で、より関心を深めるプログラムを実践している人たちや、異分野の人など、つながりを知る必要はあるのではないか。
京エコロジーセンターやきんき環境館などには、それぞれのプログラムの立ち位置やつながりを把握し、地域全体のコーディネートを担う役割が期待できる。この環境教育ミーティングも、地域に、どれだけの、かつ、どのようなコンテンツがあるか把握する場として期待できるだろう。
様々な実践者やプログラムの立ち位置が把握できたならば、それを面として2次元的にとらえることができるだろう。

5-3 ビジョンを策定し、プロジェクト推進単位としての「地域」
ここまでに何度も「ビジョン」という言葉を使った。地域の将来ビジョンは、誰が勝手に描くものでなければ、学校だけで描くこともできない。地域住民をあげて策定する必要がある。その「地域」の範囲は、人によって考えが違うと思うが、自分は市町村(基礎自治体)を基本に考えている。
冒頭、「私は環境教育の専門家ではなく、環境活動の実践者」と紹介したが、市町村の環境基本計画を、市民参画(市民主体)で策定し推進する支援業務に勤しんできた。
環境基本計画での市民や事業者に向けた働きかけだけでなく、子どもたちに向けた働きかけも加えた総合的なプログラムにすることもできるし、そうすることで、環境教育を地域をあげて推進し、進行管理することができるだろう。

5-4 これからは 3次元的プログラムへ
地域の実践者やプログラムを2次元的にとらえることには触れたが、3次元的プログラムって何のことだと思われることだろう。
先ほど申したように、子どもたちだけでなく、市民や事業者、行政職員(議員や首長も)にも環境教育は必要である。環境教育は分野も多様だが、対象も多様である。持続可能な社会づくりには、環境教育を面だけでなく、立体としてとらえる必要がある。
その場合、「環境教育の専門家」だけでは手に負えなくなる。環境活動、地域政策やまちづくりの実践者とも協力が必要になる。
大変なようだが、ソーシャル・イノベーションなどの表現で、すでにそのような取り組みを始めている人たちもいる。

最後に、こういったことは言いっぱなしではいけない。私自身の今後についても触れておくと、私は4月からある自治体の環境教育他、環境政策の推進担当に転身する予定である。自分が環境基本計画の策定コーディネーターを勤めたまちで、これからある種社会実験ができるのではないかと思っている。3次元的に環境教育プログラムをとらえ、地域をあげて進めて行くなど、今はまだ夢想だが、多くの人の協力を引き出し、数年後には見えるものにしていきたい。

以上

・・・・・・・・

 

以下、別資料
4章 第一線の識者・実践者を訪ねて ヒアリング詳細(本文と重複箇所があります)
特定非営利活動法人 環境市民 堀 孝弘

4-1 「環境教育学」編著者、井上有一京都精華大学教授へのヒアリング
環境活動を実践している者として、2012年4月発刊された「環境教育学〜社会的公正と存在の豊かさを求めて〜(法律文化社、以下「環境教育学」) 」の問題提起や指摘は、そのほとんどを違和感なく受け入れることができた。しかしながら、以下に述べる幾つかの疑問も生まれた。
・「身近にできること」の呼びかけにとどまる〈環境教育〉は、意味を持たないか。
・ 環境教育を「底抜き」と呼べるほど深め、社会批判を伴う『環境教育』の実現を、現在の教員たちは担えるだろうか。
・ 教員個々、あるいは学校単位で「底抜き」ができない場合、公的な環境教育施設がその役割を担うことはできるか。
上記の「疑問」を、「環境教育学」編著者の1人、京都精華大学井上有一教授に投げかけてみた。以下は2012年8月9日夕方から実施したヒアリングの内容。

Q1 身近にできることの呼びかけにとどまる〈環境教育〉は、意味を持たないか。
A 家庭での取り組みは、極めて重要な(本来の)環境教育につなげることもできる。パラダイムの転換といっても話が大きすぎる。「とりあえず、ここから始めたら多くのことが見えてくる。変化の促進役になろう」などの意識の変革につなげるなど、そこを入り口としてそこから関心を深めてもらうことができる。
しかしながら、「市民の役割はこれ」と限定してしまうおそれもある。身近にできることの提起が目的化したことが、日本の環境教育の失敗。また、心がけの活動は、がまんを強いる。「エアコンを使うのをやめよう。テレビを観る時間を減らそう」といった禁欲を責務とするイメージがある。大学生に環境教育のイメージを尋ねても、「がまん・しんぼうを伴う」といったイメージを、多くの学生が持っていることがわかる。だが、これは不幸なことである。本来、環境教育とは「(よりよい生き方や生活に感じられる豊かさや満足につながる)プラスのものを生み出すもの」であり、二重の誤りがある。
家庭の取り組みへの再評価が必要。強制型でなく提案型である必要がある。魅力的なものでなければ入り口でとどまってしまう。その点、環境市民が取り組んでいるグリーンコンシューマー活動のように、商品やサービスの「選択」を通じて、環境負荷も小さくしていくことができ、かつ社会に影響を与えられる提案は重要。政治的な取り組みは敷居が高いが、グリーンコンシューマー活動は決心がなくてもできる。毎日の買い物で少し考えてみずから選択していくという活動は、商品や企業への投票であり簡単にできる取り組みである。

Q2 教員に「底抜き」を担うことはできるか
A 小学校から高校までの教員は、様々な制約・統制を受け、やりたいことができない。ここで注目すべきことは公害教育の経験である。公害教育は人権を擁護する観点から経済成長に問題提起をした。豊かな社会批判性を持っていて、その歴史を見直すべきである。「公害教育は過去のもの」と思っている人もいるが、決して終わっていない。そういった傾向を許すメンタリティも問題である。決して終わらせてはならない。環境教育のプログラムをデザインし実施していこうとする場合、公害教育の問題意識の持ちかたや具体的な実践事例から学ぶべきものはたいへん多い。
学校教育が一方的に社会の認識を変えるのではなく、社会が変わって教育が変わる。3.11以降「原発を止めよう」という人が70%になったとの報道もあった。「安全、安い、必要」、すべて「神話」であるということが広く知られて認識が変わった。(2012年夏)毎週金曜日夕刻に行われている首相官邸前の抗議行動がそれを象徴している。これまで個々の原発立地での反対運動はあったが、原子力政策全体に対する反対運動はチェルノブイリ事故の後、「脱原発法」制定の動きなど限られたものにとどまっていた。社会が変わって教育が変わるのであって、教育が変わって社会が変わるのは限定的。
それぞれの立場で教員は学習指導要領の範囲でできることをやっていく。環境持続性と社会的公正を軸として存在の豊かさの実現を目指すという価値を共有したい。これらの課題については公害教育から学べることがじつに多い。

Q3 市民セクターへの期待は、行動力と心情だけか
A ラディカルな環境教育は誰が担うか。学校教育は現在の社会システムの再生産の場とならざるを得ない面がある。だとすると、これを正面から担えるもののひとつは環境NGOであろう。環境NGOは前衛としての役割を果たし、社会全体は後からついていくというイメージ。環境教育に取り組む人たちは、それぞれの立場でこの大きな動きをそれぞれに具体化していく。このような関係が考えられる。
今日の社会において「とんでもないこと」「非現実的なこと」といわれることであっても、未来からみたら「当たり前のこと」であるかもしれない。ある時代の「常識」が次の時代の「非常識」になることは、これまでにも繰り返されてきている。いまの「常識」に縛られて批判的なものの見方ができないと、認識の誤謬が生じてしまう。現在の「当たり前」に縛られることなく、未来のある時点において「当たり前」に必要とされることを考えて、そこから今日やっておかなければならないことを明らかにしてそれを実行していくという姿勢が求められるであろう。「できることはやりましょう」「できることからやりましょう」といった発言がよく聞かれるが、それでは「できないことはやりません」ということになりかねない。現在の「常識」や「当たり前」に縛られて「できない」と思われることであっても、未来の必要からバックキャストして考える必要があり(地球温暖化問題への対応がそのわかりやすい事例)、「非現実的」と言われても発信し続けることが必要。現在の現実的判断と、未来からみた必要がなぜ一致しないのか、それは現在の持続不可能な状況が未来にあるべき持続可能な状況から大きくかけ離れているからである。現在の「常識」や「当たり前」の枠内では、持続可能性の問題に到底対応できないことは明らかである。

ヒアリング後のさらなる疑問
わずかな時間でのヒアリングであり、井上氏や、他の「環境教育学」執筆者の思いのすべてを引き出せたわけでないことを、ことわりとしなければならないが、このヒアリングを通じても、なお以下の疑問が残った。
・「身近にできる環境行動」からスタートしつつも、「未来の当たり前(ビジョン)」に向け、プログラムを組み立て、深めて行くプロジェクトおよびビジョンは、誰がどのように策定するのか。
・現状、市民セクターと教育現場は連携をとった行動ができているとは言えない。市民セクターと教育現場の連携をどのように構築するか。
・教員および学校は、社会が変わってから教育を変えればよいのか。教育現場から社会を変えていくことはできないか。
・公害教育の経験を、現在の環境教育に活かすため、かつての公害被害地とその他の地域の「温度差」を埋め、学校現場と地域をつなぐには何が必要か。

以降、環境教育分野の実践者および研究者へのヒアリングを通じて、それぞれの人の『環境教育』への思いを尋ねることにする。それによって、上記「疑問」の解明に努めたい。

ヒアリングの対象として、京都市の環境教育施設である京エコロジーセンター(京都市伏見区)の高月紘館長、シティズンシップ教育について、イギリスおよび国内事例を研究され、多くの論文や著書を著している京都教育大学水山光春教育学部教授。国際的な環境教育認証「グリーンフラッグ」を日本の小学校で初めて取得した兵庫県加西市立西在田小学校において、取得に至るまでのコーディネートを務めたNPO法人環境市民理事の下村委津子氏の3氏に依頼することにした。
高月氏には、公的な環境教育施設が『環境教育』の実現に果たせる役割について尋ねることにする。水山教授には、シティズンシップ教育が、教員や学生の問題解決能力を高め、「底抜き」を実現するほどに教育の可能性を深めることができるかを尋ねる。下村氏には、学校での環境活動に対する国際的な認証であるグリーンフラッグは、環境教育の取り組み内容を継続に高めることができるか、3氏それぞれに、このようなことを尋ねることにする。ヒアリングは2012年8月21日から24日にかけて実施した。


4-2 京エコロジーセンター 高月紘館長へのヒアリング

京都市伏見区にある京都市環境学習センター(京エコロジーセンター)は、1997年に京都市内で開催され、「京都議定書」が採択された国連気候変動枠組条約(地球温暖化防止条約) 第3回締約国会議(COP3)を記念し、2002年に京都市が設置した環境教育の拠点施設である。
もし、個々の学校教員が「時間がない」「情報がない」ために、環境教育を深めることができないとすれば、このような公共の環境教育拠点施設が、個々の教員にかわって「環境教育の底抜き」を実現できないだろうか。このような問題意識のもと、同センター館長を務める高月紘氏 にヒアリングを依頼した。
高月氏は、「ハイムーン」のペンネームで、1コマ漫画による環境啓発を始めて30年近くなる。そのなかには、大量にエネルギーを使い、多くのごみを出し、所有するモノの多さに頼った社会のあり方など、豊かさのとらえ方への疑問から、リサイクル(特に容器包装)における事業者責任の弱さや原発から排出される核廃棄物問題など、環境問題の深層にふれるものも多い 。
一方、京エコロジーセンターから発信される環境情報等について、たとえば、2011年3月11日の後に発生した原発事故について見るならば、事故の状況や放射線被害に関する情報や、それらについて学ぶセミナー等、同センターからは発信・主催されなかった 。その様子は、社会問題や環境問題の深層にあえて触れないようにしているようにも思えた。このようなことも含めて、公共の環境教育拠点施設の可能性と限界について、高月館長に尋ねた(実施日2012年8月21日)。

高月館長へのヒアリングの応答は以下の通り
Q1 高月館長が考える『環境教育』の全体像、イメージをおしえていただきたい。
A 環境教育は、あくまで持続可能な社会創出のためのもの。自発的に参画行動する人を創りだすもの。身近な環境行動も必要だが、その提起・呼びかけだけではいけない。今年8月、東京都内の立教大学で開催された日本環境教育学会で、明確に「原発No」が打ち出されたように、時には批判的姿勢も重要である。

Q2 京エコロジーセンターのように行政が関係する施設での環境教育の問題点と、今後の環境教育がどうあるべきとお考えか
A 京エコロジーセンターは京都市の施設で、財団法人京都市環境事業協会が運営委託を受けている。そのため環境教育の内容やスタンスにも慎重にならざるを得ない面もある。そのなかで、スタッフ自身の考えが重要。若いスタッフのなかには、「環境問題を自ら勉強しよう」という思いをもち、数人で福井県の「もんじゅ 」への見学を実施するなど、自分たちで学ぼうとしている。そのような姿勢や今後の成長に期待したい。
センターでの環境教育では、今後、意見や情報の発信も重要になってくる。来館してくれる人の数には限りがある。来館できない人にも情報発信していく力をつけることが必要だと考えている。

Q3 京エコロジーセンターが、環境問題に関心を持ってもらうための「入り口」を担っているとすれば、その後の環境教育および環境行動の深化はだれが、どのように担うのか。
A 身近な環境行動も重要。環境問題に関心のなかった子どもに関心をもたせることができる。もちろん、環境教育による行動提起が、身近にできることどまりであってはいけないのだが、京エコロジーセンターから発信される情報などは、「社会の仕組みを変える」ところまでは至っていない。
ただ、京エコロジーセンターの重要な役割として、パートナーシップ と人材育成がある。市民のなかで環境行動をがんばっている人たち、団体、事業者らと環境教育を広めて行く。学校と市民団体や事業者をつなぐ役割も果たしている。
人材育成では、施設ボランティア、エコメイトのようにスタッフ(有給職員)をサポートしてくれるサポーターを育て、やがて地域に出て行ってもらっている。また、環境教育リーダーのように地域でがんばる人たちを育てている。もちろん、リーダーと言えるような存在でなくてもよい。ただし、どのように地域に人材供給するのか、何を目指すのか明確でない。開所から10年たち、これまでの実績の評価が必要になっている。子どもたちに環境問題に関心を持ってもらう、市民の環境意識を高める、がんばっている人たちをつなぐ、そのような役割を京エコロジーセンターが担える。
また、環境教育や環境行動が「身近にできること」にとどまってはいけないが、たとえばリサイクルにしても、一生懸命がんばって取り組んで初めて様々な問題が見えてくる。私が、「元栓を締めた方が早いんじゃないの?」と題した1コマ漫画で提起したリサイクルの問題点も、リサイクルに懸命に取り組んで見えてくるものがある。自身汗を流さず、問題指摘をしても説得力が伴わない。


図 元栓を締めた方が早道じゃないの

【高月紘館長へのヒアリングは以上】

京エコロジーセンター高月紘館長のヒアリングを通じて、公的な施設として様々な立場への配慮が必要で、発信内容等に限界があるものの、多くの人、特に子どもたちに「気付き」の機会を提供できるというポテンシャルの大きさをあらためて確認した。また、京エコロジーセンターのような施設が、教育現場と民間セクターをつなぐ役割を果たせること、環境NGOや企業など民間セクターとの協働によって、環境NGOや企業の情報発信の機会を拡大する支援ができることなども確認できた。
ただ、京エコロジーセンターのような環境教育施設は、全国的にみてもまだ数が限られている。京エコロジーセンターが実施している教育現場と民間セクターとの仲介も、市内全域の環境活動を見渡した場合、ごく限られたものであり、これを如何に広げるかなどの課題もある。

4-3 京都教育大学 水山光春教授へのヒアリング
教員(学校教員以外の環境教育指導者も含めて)が、現状の〈環境教育〉に飽きたらず、環境教育を「底抜き」できるほど深めていくのは、時間的にも、情報面でも、現状多くの制約があり難しいと思われる。しかしながら、イギリスなどで普及・実践されている「シティズンシップ教育」が浸透すれば、環境教育に限らず、様々な分野の教育で「底抜き」が実現するのではないかとの思いが浮かんだ。そのことによって、前章の最後に列挙した疑問のうち、「教育現場から社会を変えていくことはできないか。」について、答のようなものが見えてくるのではないだろうか。
この点、シティズンシップ教育について、イギリスおよび国内事例を研究され、多くの論文や著書を著している京都教育大学水山光春教育学部教授に尋ねた。(実施日2012年8月22日)

以下は水山教授とのやりとり

Q1 シティズンシップ教育とは、どのようなものか。必要とされた背景は?
A シティズンシップ教育は、2002年からイギリスの中等学校以上で必修教科として導入された。「政治的リテラシー」「社会的道徳的責任」「地域社会との関わり」の3つを柱とすることからわかるように、民主主義社会の根底・根幹の創出を目的としている。なかでも「政治的リテラシー」を大事にしている。社会には利害対立がどこにでもある。対立の調整は「政治」そのものであり、家庭、学校、社会、すべてにつながりがある。そのことがシティズンシップ教育の大きな柱である。
イギリスでシティズンシップ教育が必要とされた背景は、若者の政治的無関心や,いじめ,薬物などの問題行動が多くなったこと、若者の社会や国家への帰属意識の希薄化などがある。
学生たちに提示されるテーマは、「校庭の開発」といった身近なものもあるが、「移民と失業」「熱帯林の開発と先住民の権利」など決して明快な答えが出ないものもある。様々な社会問題に対する自身の考えの明確化や政治的関心の高揚が目的であり、これらの問題に対して、学生たちそれぞれがどのように向き合い、自己の意見を醸成するかが重要であって、討論技術を高めることは決して目的ではない。つまり、ディベート技術の修得はシティズンシップ教育の目的とするものではない。
イギリスでのシティズンシップ教育の実施にあたっては、シティズンシップ専任教員がいるわけではなく、原則としてすべての教員が担当する。成績評価は、英検のように学校とは別の検定機関が三つ(AQA,EDEXEL,OCR)あり、そこのテストを受けて評価を受ける。中等学校を卒業するには、5科目以上で修了認定(GCSE)を得る必要があるが、その対象科目にシティズンシップも含まれている。理科、社会、数学、国語などの他、音楽や技術なども認定対象教科になるため、シティズンシップを選択しない学生もいるが、10%程度の学生が卒業検定でシティズンシップを選択している。
卒業検定にあたって、筆記試験が評価の6割を占める他、コースワークという実践活動への評価が4割を占めている。コースワークは環境活動やフェアトレードの普及活動などに自身参加し、そこで得た経験をまとめたレポートの記載を求めている。このレポートは,単語にして5000語(日本語で原稿用紙にすると約20000字)で書かねばならず,単なる報告文ではなく、自らの実践に対する自己評価も含めたものとなっている。

Q2 これまでの成果・評価 周辺国への波及
A シティズンシップ教育がイギリスで導入されて10年になる。イギリス国内での評価として、全国教育調査財団(NFER)が行った調査がある。それによると、若者の投票率の向上については、導入から10年であり、まだ顕著な数字となって反映していないが、学校の生徒会の組織率は向上している。また、地域のボランティア活動などに参加する学生も増えている。副次的な効果として、学生たちが政治的主張をすることが多くなったといわれている。自分たちの利害に直接関係する「授業料値上げ反対」をはじめ、デモなどの直接行動で自分たちの意思を主張する学生が増えたということである。
シティズンシップ教育が導入された当時のブレア労働党政権は、このような若者の行動を「政治的関心の高まり」ととらえ、歓迎するべきものと受け止めていたようだが、現キャメロン保守党政権とその支持者らは、こういった状況を歓迎していないようである。そのため、今後のシティズンシップ教育について、これまでと同様の内容で進められるかどうか、わからない面はある。しかしながら、イギリスで導入されて以降、EU諸国のほとんどがシティズンシップ教育か、またはそれに近いものを採り入れている状況にあり、多くの国で効果が認められているといえるだろう。

Q3 シティズンシップ教育とは、どのようなものか。道徳との違いは何か
A 日本では社会科の一部、または道徳の一種と見なす人もいるが、それはまったくちがう。イギリスにおいて、シティズンシップ教育に使われる一般的なテキストのなかに、以下のような設問がある。「あなたの家や学校の近くに、自動車の通行の多い道路がある。そこには大型のタンクローリーなどが走り、騒音と排気ガスの臭さは大変なものである。こんなとき、あなたたちが採り得る選択肢は何か」といった内容である。状況の説明につづけて幾つかの選択肢が並べてある。
・請願書を書く。
・(窮状を訴えながら)行進する。
・市役所などに電話をかける。
・(大型トラックなどの)所有者に苦情を言う。
・道路に寝そべって、大型トラックの通行を妨害する。
・何らかの方法で、大型トラックにダメージを与える。
・ もっと徹底的な方法を考える。

図2 シティズンシップ教育教材例

これらの選択肢のうち、下の3つを見るとシティズンシップ教育が道徳では決してないことがわかる。日本ではとかく「選挙に立候補する」とか「投票する」など,間接民主主義に基づいた時間のかかる選択肢が奨励されるが,英国では「そんな悠長なことをしていて,目の前の危機は救えますか」と問われたりする。また,人の健康や平穏な生活の維持のためには、経済活動を制限することも選択肢としてあり得ることを子どもたちに示すなど、イギリスで実践されているシティズンシップ教育は、社会の批判的発展に寄与するものでもある。
もちろん、シティズンシップ教育では「社会規範」や「公共の利益」などもテーマになる。「社会規範とは何か、いかに構築し、維持するか」といった議論は、道徳と通じるところもある。それを「守るシティズンシップ教育」と表現できるが、それだけがシティズンシップ教育ではない。社会問題に向き合い、新たな社会のあり方を考える「作るシティズンシップ教育」もある。

Q4 日本にシティズンシップ教育は必要か。
A 必要であると考える。日本において「公共性教育」としてシティズンシップ教育に期待を寄せる人も多いが、効果はそれだけでない。現在日本は、様々な困難な問題に直面している。個々が考え、自発的に行動する必要性が高まっている。そのようなとき、自ら考え、自発的に行動する人を創出する役割を、シティズンシップ教育が担うことができる。

Q5 日本でシティズンシップ教育の導入・普及は可能か
A 必要性に対する認識を高める働きかけが重要。この点、日本への導入、および定着を難しいことのように思う人もいるが、すでに幾つもの芽が生まれている。たとえば、イギリスでシティズンシップが必修科目化されたのを期に、同じ時期に開設された、お茶の水女子大学附属小学校の「市民科」があげられる。この「市民科」は年間105時間実施されている。地域をあげた取り組みとしては、東京都品川区の小中学校、京都府八幡市の小中学校などでの取り組みがある。他にも数校、このような取り組みがある。
八幡市の場合、文部科学省の研究開発費を獲得し、シティズンシップ研究に取り組んでいた。カリキュラムを作ったところで昨年度末終了し、関わった人たちの多くが不完全燃焼を感じていた。そこで今年(2012年)、八幡市教育委員会内に委員会を立ち上げて、シティズンシップ教育の実践に取り組もうとしている。また、京都府も平成24年度から高校生を対象とした「社会と関わる力の育成プロジェクト支援事業」をはじめたが、そこでも「シティズンシップ教育」が主要なテーマになっている。このように,私たち(京都市)の身近にもシティズンシップ教育の芽は着実に育ちつつある。
国も、次期学習指導要領改定の際、シティズンシップ教育を無視できないほど、必要性に対する認識は高まってきている。
実際に導入するとなると、イギリスのように全教科の教員が担当するのは、政治的な内容や環境問題など、ある程度専門性も必要になってくるので検討が必要となる。総合的な学習の時間や、特別学習などを活用する方法もある。中学校や高校では、権力、強制、妥協、権利と責任共同体主義、自由主義など、概念的な勉強が必要になるだろう。その成果はデモクラシーの進展・深化にあらわれる。イギリスでシティズンシップ教育が正課として導入される前、シティズンシップ教育の必要性等について検討した諮問委員会の長を務めたバーナード・クリック氏は、1998年に出された最終報告書(クリック・レポート)のなかで、「デモクラシーは様々なものがある。どれがベストというものはない。発展していく。『これがベスト』となると、そこから腐敗が始まる」と述べている。
シティズンシップ教育が普及し、成果をあげるまで、一足飛びにはいかない。しかしながら学校教育のなかにも芽はある。それを伸ばすには批判的な目も必要で、「守るシティズンシップ」だけではダメ。どのように「作るシティズンシップ」を導入し普及するか、そのためには,まさにそれを実践しているNPOの助けが是非とも必要となる。

【水山教授へのヒアリングは以上】

水山教授へのヒアリングから、シティズンシップ教育の導入と浸透によって、教育現場が社会問題に向き合い、解決策を考え、行動を生み出していく場になり得る可能性があることがわかった。ただし、そのためにも、水山教授が言うように「守るシティズンシップ」だけでなく、「作るシティズンシップ」を社会に広める必要がある。
また、シティズンシップ教育では、身近な社会問題を取り上げることができるため、地域によって取り組みに大きな温度差が生まれることもないだろう。また、公害教育の成果をシティズンシップ教育のなかに取り上げることもできるだろう。
水山教授へのヒアリングからも、市民セクターと教育現場の連携への期待が語られたが、これをどのように構築するかについては、次項以降の課題としたい。


4-4 環境市民 下村委津子理事へのヒアリング

下村氏は、2012年3月、日本の小学校で初めてグリーンフラッグを取得した兵庫県加西市立西在田小学校で、取得に至るまでのコーディネートを務めた経験をもつ。グリーンフラッグとは、学校での環境活動に対する国際的な認証である。クラス単位ではなく、学校全体をあげた環境活動で、一定のプログラム(エコスクールプログラム)に取り組み、6ヶ月以上の活動継続ののち申請し、審査のうえ、成果をあげたと認められた学校にグリーンフラッグが授与される。認証は1年だけで、継続して活動成果をあげることができなければ、グリーンフラッグは返上しないといけない。
日本でエコスクールを推進しグリーンフラッグ認証するのはFEE Japan で、同団体のWEBサイトには、「グリーンフラッグの取得は通過点です。エコスクールプログラムでは継続的な改善が求められます。グリーンフラッグを維持するためには更新が必要になります。」と記されている 。グリーンフラッグを取得した西在田小学校と、グリーンフラッグの取得に至らなかった学校との違いをみるなかで、環境教育の継続な向上にグリーンフラッグ がどのような寄与ができるか見えてくるのではないだろうか。
以下は、下村氏とのやりとり(ヒアリング実施日2012年8月23日)

Q1 地域と連携した環境教育は、どのように実現できるか。
A 地域の子どもたちの連携した学習には、2つのタイプがあると思う。1つは、地域の人たちがどのような学びの場をつくりたい、提供したいか。そういった思いをもって学校に働きかけて行く。
環境教育とは、持続可能な社会を創る手段であり、そのための「人をつくる」役割を担っている。根本は民主主義を如何に浸透させるか。ドイツで、ESD(持続可能な開発のための教育)をやっていた地域の保護者が、より充実した環境教育の場を創りたいと幼稚園を創った事例がある。園長(PTA役員)は環境教育を受けてきた人。自分たちが環境教育を受けて、次は自分の子どもたちに場と機会を創出していく。そのために子どもたちの自然への感性を高めてくれる人など、思いをもって教員を選んでいる。こういった「地域が学校に働きかける」アプローチがある。
2つ目は、グリーンフラッグの取得をめざす動きとして。初めは学校の中の取り組みとして始まっても、様々な環境問題の解決策を見つけていくうち、地域との関わりが生まれてくる。その場合、教員の認識が大きな課題となる。子どもたちに考えるプログラムを提供することができるかどうか。自分たちで問題を見つけ、解決の行動に移す。そのためには地域の人たちの協力が必要だが、そこに至るプロセスが大切。初めから「これが地域の課題です。解決策はこれです。行動しましょう」と提示するのではなく、プロセスを子どもたちに理解してもらいつつ進行しようとすれば、教員にも大きな負担を強いるとともに、教員として求められる力量以外の能力も求められる。

Q2 地域と学校現場の連携に必要なものは何か
A 子どもたちが地域の人たちと活動する際、地域の人たちの感覚をどう引き出すかも大切なポイントとなる。地域の人たちは、子どもたちが可愛くて、善意で様々なものを次々と提供しようとされる。しかしながら、それだけでは根本的な解決にならない。場合によっては構い過ぎをしてしまう。先生たちがそういった「親心や善意から生まれた構い過ぎ」をセーブするのは難しい。地域の人たちと学校の間に入るコーディネーターが必要になる。
地域の人たちに、この地域をどのような姿で次の世代に手渡したいか考えてもらい、子どもたちにもどのような地域や社会に住みたいか考えてもらう。同時進行で、両輪で進んでいかないといけない。学校から人へ、地域へ、と考えていくと、それがESD(持続可能な社会のための教育)そのものになっていくのだろう。
子どもたちを軸に、地域を巻き込むプログラムを創り、実践していくことは、学校という単位での教育を担う教員には負担が大きい。そこで地域のNGOが間に入ることが必要になる。

Q3 NGOやNPOと組むと言っても、NGO・NPOにも様々ある。どのようなNGOと組むかによって、プログラムの質がかなり変わってくると思う。それこそ「身近にできること」が環境行動のすべてのように思い込んでいる団体と組めば、持続可能な社会づくりに寄与する環境教育など、到底到達はできないと思われる。この点はどのようにお考えか。
A そこが大きな問題。日本国内でグリーンフラッグの認証を行うFEE Japanも、どのようなNGOと連携したらよいか課題としている。
国内で、グリーンフラッグ取得のための学校支援をFEE Japanが委託または依頼している団体は様々である。厚木市では地域の学校への働きかけを行政に依頼している 。
グリーンフラッグの目的を理解してもらい、コーディネートできる団体や人が誕生することを目的に、エコスクール・グリーンフラッグを運営しているデンマークの本部に専門家の派遣を依頼した。2012年秋、An Taisce The National Trust for Ireland のBirgit O’Driscoll (Mrs.)氏が来てくれることになった。今秋、全国での講演やセミナーの開催を、FEE Japanと環境市民で計画している。

Q4 グリーンフラッグを取得した西在田小と、それ以外の学校の違いは
A グリーンフラッグの取得をめざしてエコスクールプロジェクトに取り組んでいたのは、加西市西在田小学校だけではない。持続可能な社会を築くことがエコスクールプロジェクトの目的であり、取り組み校のなかで、FEE Japanが「エコスクールプロジェクトの求めるものに最も近いのが環境市民の取り組み」と言ってくれている。
手順としては、まず子どもたちや教員に、自分たちが住む地域の環境で気になるところを見つけてもらった。西在田小学校の場合、川をとりあげたので、その川を含む地域がどのようであったらよいかという想像をしてもらった。
問題の洗い出しの後、重要性などを考え取捨選択し、「重要」と思われる問題の解決を「自分たちの課題」と認識してもらい、課題解決のために活動を企画してもらう。つまり活動は、課題達成と将来ビジョンの実現という2つの側面を持っている。この一連の手順は、環境市民が地方自治体(市町村)の環境基本計画の策定コーディネートをする際と同じ手順である。こういった手順での進行がグリーンフラッグ認証の際、評価を受けたと思われる。
子どもたちの「あれやりたい。これやりたい」を実施するのが「子どもたちの自主性を活かす」ということでもなければ、「エコスクール」のプログラムの実施自体が目的でもない。

Q5 小学校に限らず学校には在校期間があり、子どもたちはいずれ卒業していく。ある時期、取り組みが盛んでも、しばらくすると継続されないこともあると思う。そのようなことがないように、何か工夫はあったか。
A 活動の継続は大きな課題。西在田小学校の子どもたちは、そこを本当にうまくやっている。自分たちで問題を見つけ、課題設定する。全員で川にエコ遠足に行った。そこで見て感じたものをもとに「川からごみをなくす」「植物を増やす」「川に遊び場をつくる」「ホタルが舞う川にする」など11のグループをつくった。子どもたちは好きなグループに参加してよいことにした。人数や学年に偏りもあったが、高学年の子どもが低学年の多いグループに入って補助をするなどした。その姿を見た中学年が「自分たちも高学年になったら、あのようにするんだ」と思った。
11のグループで何をしたらよいか考え、実行は全校生徒で実施した。最初の年は11のグループが一斉にそれぞれ決めたテーマに取り組んだが、2年目は、ある月はこのグループのテーマ、次の月はこのグループのテーマというように順番に取り組んだ。このような活動スタイルを構築し、6年生が卒業したら、5年生が「これからは自分たちが引っ張っていくんだ」と思ったという。
自分たちでビジョンを描いているから、「自分たちが目指していることが実現していない」という評価が生まれ、新しいプログラムも生まれているという。自分たちがやるべきことがわかっているから、子どもたちがどんどん進んでいく。
ただし、ビジョンは徐々に忘れられていく。そのため何度も繰り返し意識してもらうことが必要である。それも単なる復唱ではなく、行動とのつながりで意識してもらうことが必要である。今やっていることも位置づけ、個々の行動の意味を知ることができる。

Q6 グリーンフラッグは社会の批判的発展に寄与するか
A たとえば、地元の若井川を見てもコンクリートで3面張りされている。その状況をみて、自然な川にするにはどうしたらよいか考え、議論していくなかで、管轄しているのが加古川西部土地改良区 であることがわかった。「ならばそこの人を呼ぼう」ということで学校に招いた。来校した同改良区職員は、川の役割から丁寧に説明してくれた。「魚の棲処」「川の遊び場(親水空間)づくり」などの説明のなかで、「できないことはない」という言葉があると、「それはできるってことですか?」「どうやったらできるの?」といった質問が子どもたちから相次いで出された。それに対して「地域の大人たちと相談して、大人たちが『いいよ』と言ってくれれば、実現するかも」という返答をしてくれた。それに対しても「そういった改修に、費用は幾らかかるの?」「大きなお金なの?」という質問が、子どもたちから出された。それに対しても「地域の人たち(大人と子ども)が本当に望むなら、次の改修で実現できる可能性だってある」という返答が出された。
こういった議論は、子どもたちのモチベーションを高めるとともに、大人たちが作り出した社会の後始末としての環境行動を促す環境教育ではなく、社会のあり方、地域の環境そのものも変えていこうとする動きを創出するものである。この場合、川を例にあげたが、「コンクリートの3面張り」「限られた生き物しかいない」「投げ込みごみが多い」「川に入れない」などの現状に対して、一途に「ごみ清掃」や「川の美化呼びかけポスターの作成」などを子どもたちに求める『環境教育』もある。それだけを続けても根本的な解決にならないだけでなく、ごみ清掃やポスター作成が目的化してしまう懸念もある。ビジョンをもって進んでいくことで、常に自分たちが取り組んでいること、目指すものを確認しながら活動の質を高めていくことができる。
対応してくれた加古川西部土地改良区の職員は、子どもたちの疑問に丁寧に対応し、子どもたち自身や地域のもつ「可能性」を示してくれた。ここからは、地域の力が試されると思う。

Q7 コーディネーターが入る意味・意義は
A 学校教員は指導のプロ。教えることの専門家。グリーフラッグが求めているのは、指導ではない。情報提供や示唆にとどめ、調べて決定するのは子どもたち自身。まわりで見守り、期待して待つことをしなければならない。その点が多くの教員にとって、これまでにない経験。ビジョンを設定し、それに向けた進め方や、環境情報の示唆についても、「身近にできること」にとどまらないようにする配慮が必要である。こういったこともあり、コーディネーターの介在が必要である。

下村氏へのヒアリングから、子どもたちの自発性を引き出し、自ら描いたビジョンを実現するためのプログラムづくりと実行の大切さが伝わった。在校期間が限られている子どもたちに、「活動の継続や発展」を求めるのは難しいことではあるが、「めざすもの」を明確にし、常に意識すること、および全校的な活動として取り組むことで、次代への継承と発展が期待できることもわかった。日本の小学校ではまだ普及していないグリーンフラッグ(エコスクール)だが、「身近にできる環境行動」にとどまらない、本来の環境教育を実現するための枠組みとして活用できそうである。

京エコロジーセンター環境教育ミーティング2012 基調講演 別資料
(4.第一線の識者・実践者を訪ねて ヒアリング詳細)以上