堀 孝弘 環境市民退職のごあいさつ | 認定NPO法人 環境市民

堀 孝弘 環境市民退職のごあいさつ

このコーナーは,2002年から2013年まで環境市民の事務局長を務めた堀孝弘が,在職時に書いたブログを掲載しています。

環境市民の会報「みどりのニュースレター」2013年3月号に掲載された、堀 孝弘退職のごあいさつです。

《ごあいさつ》
私堀は、2002年2月から環境市民事務局長を務めてきましたが、本年(2013年)3月末をもちまして、環境市民を退職いたします。長い間、本当にお世話になりました。これまでのご厚情に厚く感謝申し上げます。

《私と環境市民の出会い》
私が環境市民の事務所を初めて訪ねたのは、環境市民が「環境市民基金設立準備会」として発足した、1992年7月から3ヶ月ほど経った同年10月。
当時の京都周辺では、希少な自然の保護や開発反対運動が盛んで、地域で自主的なリサイクル活動も立ち上がりつつある状況でした。反対運動とリサイクル、いずれの活動にも参加し、それらの限界を感じていた時、環境市民に出会いました。環境市民は、特定地域の自然保護ではなく、行政、企業、市民の環境意識や行動を、全般的に高める活動に取り組もうとしていました。また、増え続ける使い捨て容器を分別してリサイクルすることより、発生抑制の大切さを説き、グリーンコンシューマー活動など、具体的な活動に取り組んでいました。環境市民の理念や姿勢は、自分がそれまでの活動で感じ求めていたことと一致し、以後、環境市民を足場に活動することが多くなりました。

《ボランティアとしての関わり》
ただ、当初から重要なポジションを担ったわけではありません。1ボランティアとして、他の人たちが気持ちよく活動できるように、事務所の片付けや掃除ばかりをしていた時期もありました。やがて、少しずつ重要な作業をまかされるようになり、96年のグリーン購入ネットワークの設立や、99年発行された、全国版および京都版「グリーンコンシューマーガイド」の作成などに関わることができました。初めて事務所を訪ねてから9年間は、ボランティアとして活動に参加していました。

《この11年、環境市民が実現したこと、やり残したこと》
2001年には、当時非常勤で務めていた京都大学職員と兼務で、環境市民のパートタイムスタッフとなり、翌2002年2月、環境市民の法人化に伴う人事変更で事務局長に就任いたしました。それから11年、多くのことがありました。多くの人との出会いや別れなど、様々なことがありました。環境市民に関わって良かったと思われた人もあれば、私の不十分な対応で、嫌な思いをさせてしまった人も多いと思います。
この11年の環境市民の活動実績について、日本の環境首都コンテストや各地自治体の環境基本計画の策定支援、グリーン購入の普及や環境教育・環境活動リーダー養成など、多くの成果をあげることができます。それにより、環境市民の名は、多くの人に知ってもらうことができました。ただ、これらの成果は、多くの熱心なボランティア、有能なスタッフ・理事、献身的なインターン、目的を共有した事業パートナーなどの力によって得られたものであり、私が果たした役割など、ごく小さなものでしかありません。
法人としての労働環境では、社会保険の整備など幾つかの成果はありますが、賃金水準をはじめ、まだ「世間並み」に遠いものがあります。財政的な安定も含めて道なかばであり、大きな宿題を残しています。心残りではありますが、これらやり残したことについて、あとの人たちに託したいと思います。

《これからの私》
4月以降、環境市民とも関わりの深いある自治体の職員になる予定です。3年の任期付ですが、環境NGOのスタッフが地方自治体で、ある程度のポジションを得て転職した例は、まだ全国的にも珍しく、今後セクターを越えた人材交流の先例になる可能性があります。それとともに、NGO・NPOセクターで働く人たちの能力を活かす場を、より多く創出する先行例となるかもしれません。
NGOの活動には、発想力の豊かさやフットワークの軽さなどの特性があります。一方、行政には、地域における信用をはじめ、他のセクターにはない優れた特徴があります。この両セクターの良さを活かすことができれば、これまでになかったことが実現できそうに思います。
これからのまちづくりには、地域住民の力を今まで以上に引き出す必要があります。そのためには。行政にも、今まで以上にコーディネート力が求められます。転職後の仕事を通じて、住民の力を活かした環境まちづくりのモデルを築きたいと思っています。

繰り返しになりますが、今まで本当にありがとうございました。これからも、環境市民の応援をよろしくお願いします。