12月8日といえば、ジョン・レノン! | 認定NPO法人 環境市民

12月8日といえば、ジョン・レノン!

このコーナーは,2002年から2013年まで環境市民の事務局長を務めた堀孝弘が,在職時に書いたブログを掲載しています。

  12月8日は深夜帰宅をしたので、1日遅れになりましたが、12月8日といえば太平洋戦争の開戦記念日。たしかにそうですし、決して忘れてはいけない日ですが、それよりやっぱり30年前に元ビートルズのジョン・レノンが暗殺された日という方が、印象深いです。

私はビートルズが解散した1970年、小学校5年生でした。当時、Let it beがCMでも使われたので、ビートルズ解散のニュースも覚えています。といっても、当時はiPodもなければ、Tsutayaもないので、ビートルズが何者かよく知りませんでした。でも何かすごいことらしいという感じで覚えていました。ともかく、ビートルズを直に覚えている最後の世代だと思います。

中学生の時、「ビートルズ結成10周年」ということで、いわゆるリバイバルブームがありました。この時、友達と分担してレコードを買ったりして(重複しないように)、ほとんどの曲を聞き倒しました。着倒れ、食い倒れ、聞き倒れです。

ですので、1980年のジョン・レノンの暗殺はショックでした。当時日記をつけていたのですが、何を書いていいのか、書きなぐるように、叫ぶように書き倒しました。書き倒れです。

1970年のビートルズ解散後、ジョン・レノンは多くの時間を日本で過ごしていました。愛息ショーン君の子育てに専念していたそうですが、亡くなる前年のある日、ショーン君から「お父さんって、ビートルズだったの。すごいね。」と言われたことをきっかけに音楽の世界に戻りはじめ、本格的に活動をはじめた矢先、狂信的なファンの凶弾に倒れたといわれています。昔のイメージのままのジョンをそのままにしておきたいという、あまりにも身勝手な理由だったようです。

今、ジョン・レノンが生きていたら70歳。でもきっと老けていないだろうな。そして私たちに何を伝えてくれるだろう。日本を愛してくれた彼が、日本のよさを私たちにどのように気付かせてくれただろうか、とも思います。

また、彼が生きた時代、公害はあっても、今の環境問題はまだほとんど顕在化していませんでした。今の社会にどのようなメッセージを投げてくれただろう、とも思います。

その後の30年彼に人生があれば、世界は今とは変わっていたかもしれません。環境問題というより平和を求める人々の運動も、もっともっと勇気づけられたことでしょう。でも、Ifって禁物ですね。ジョン・レノンがいないのなら、それはそれで生きている者たちががんばらないといけません。

All we are saying is give peace a chance

 

P.S. ジョン・レノンが亡くなった3ヶ月後(1981年2月)、日本の女性参政権運動などに尽力された市川房枝さんが87歳で亡くなられました。この時私は大学生でしたが、まわりの学生で市川房枝さんを知る者がほとんどなくて、それがとてもショックでした。この時も日記に書きなぐっていました。なぐり倒れですが、市川は市川でも、こちらは歌舞伎役者ではありません。

《写真は、この当時の我が家と、我が家で飼っていた犬(ジロー)》