被曝労働者を38年追いかけて | 認定NPO法人 環境市民

被曝労働者を38年追いかけて

このコーナーでは、ウェブやメールマガジンの企画運営を行っている「電子かわら版チーム」メンバーのコラムを紹介しています。一緒に企画運営をしたいボランティアも随時募集中です。関心のある方は京都事務局まで。

10月9日、ひと・まち交流館 京都であった、
写真家の樋口健二さんのスライド&トークに参加しました。

樋口さんは、原発での仕事に従事する下請け労働者を
38年間にわたり撮り続けています。
四日市公害から公害問題を追い続け、社会の底辺にある
人々を浮き彫りにされてきました。

「反国家的写真家」のレッテルを貼られて
ずっと売れない写真家だった、と樋口さん。
自分はフリーランスだから、写真を撮るだけでなく
文章も書けないといけない、だから本も書いてきた。
写真家たるもの、社会をよくしようと想いがなければならない、
そういう想いがないのはただの「写真屋」だ。
78歳の小柄な写真家は、政官財が一体となって
現場の労働者をぼろ雑巾のように扱ってきたことと
マスメディアがまともに向き合ってこなかったことへの
怒りを全身からたぎらせていました。

電力会社・メーカー→元請け→下請け→孫請け→
ひ孫請け→人出業(親方)→底辺労働者
という構造。
社会のエリートが存在するのは元請けまでで、
放射能と向き合うのはその下の人たち。
底辺の労働者は、立地地域の農漁民や、被差別部落民、
元炭鉱労働者、都市労働者であると。
かつては黒人もいたと報告されました。
日本社会が切り捨ててきた人たちが集まる場所、
差別構造がなければ成り立たない世界、それが原発。

一人ひとりの労働者を丹念に追って、医師や司法も
味方にはならない中で、多くの若いいのちが
無惨にも失われていくことを目撃してきた樋口さん。
原発とは人間つぶしだ、という話で、
トークはしめくくられました。

もし、この話が広く知られていたならば、
日本中に 原発が林立するようなことにはならなかったろうに。
自らのこれからの行動に、大きな宿題をもらいました。
(げの字)

(参考)京都新聞より
http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20111009000083