ドイツで再燃する反原発運動の今 | 認定NPO法人 環境市民

ドイツで再燃する反原発運動の今

25万人という大規模なデモが行われたドイツ。現地在住のユミコ・アイクマイヤーさんから現地の様子について寄稿していただきました。この場を借りてお礼申し上げます。

笑う太陽のマークのステッカーやバッジを身につけた人々、顔や腕に鮮やかなペインティングをほどこしたティーンエイジャー、自転車で乗りつけるカップル、シュプレヒコールを先導する老夫婦、ベビーカーを並んで押すお母さんたち、メガホンを持った子どもをかたぐるまする父親、警官隊に時間を尋ねるおばさん。これが私がドイツで見てきた反原発デモの参加者の姿です。

日本で「デモに参加する」と言えば過激派とみられてしまう、といっては大げさでしょうか?ドイツではそんなことはまったくなく、関心あるテーマなら老若男女問わず気軽に足を運びますし、民主主義社会の意思表示として、形式のみならず普通の市民の間でも認められています。首都ベルリンでは毎週何かしらをテーマにデモが行われているといっても過言ではありません。投石や車が炎上したりするデモも確かにありますが、反原発のデモは平和を望む人々のものですから、危険な場面に出くわしたことは一度もありません。音楽あり、食べ物ありのフェスティバルのようなものです。特設ステージでは決起集会だけでなくプロのバンドのライブ演奏があり、プレッツェルの販売などもあります。座り込みの間にアカペラグループが歌を披露したり、早朝のデモではパンやケーキそしてコーヒーなどの朝食が振る舞われたこともあります。楽しめる仕掛けが用意されているのです。

日本でも報道されたそうですが、先月3月26日にドイツ4都市で行われたデモは計25万人が集まる近年無い規模となりました。これは翌日27日に行われる2つの州議会選挙に合わせて計画されていたものであり、福島原発事故を受けて開催されたわけではありません。選挙前にデモを企画するのはひとつの戦術です。結果、両州の選挙で緑の党が大躍進を遂げました。福島原発事故が起きていなかったとしたら選挙結果はどうだったのでしょう?知るよしはありません。
しかし26日には3.11をきっかけに初めて反原発デモへ参加した人たちもいたのです。「1979年スリーマイル、1986年チェルノブイリ、2011年フクシマ」と書かれた横断幕や、「原子力?おことわり」と書かれたプラカートをたくさんの人が手にしているのをみると胸が押しつぶされそうになりました。

この25万人という数には私はあまり驚いていません。この1年間で10万人規模のデモは繰り返し行われているからです。ドイツが数か月前に原子力発電所の稼働期間延長を決めて脱原発のタイミングを先送りしたことをご存知の方も多いでしょう。それまでの脱原発路線を撤回しようという今の連邦政府が誕生したのは2009年9月の総選挙のときですが、その前日にもベルリンで5万人規模の反原発デモが起きました。それでも争点は脱原発以外にも当然ありましたから、結果的に現政権が樹立されました。このようにドイツでは2009年から反原発運動は再燃し、その火は消えるどころか燃えつづけ、福島原発事故を受けて炎上しているのです。1年前からベルリンを中心に振り返ってみたいと思います。

2010年4月にはドイツ北部の2ヶ所の原子力発電所を10万人を超える人々が手と手を取り合って結びました。距離にして127kmの人間の鎖です。これはチェルノブイリ原発事故の起きた4月26日に合わせて行われたもので、ノルトライン=ヴェストファーレン州議会選挙前というタイミングでもあり、選挙への影響を当然狙ったものでした。私はそちらへは足を運びませんでしたが、その2週間前に予行練習的に行われたベルリンの人間の鎖に参加しました。原子力発電所を営む大手電力会社VattenfallとRWEの本社をつなぎました。ベルリン以外にもドイツ50ヶ所でこの景気づけのデモは行われました。

6月頭には首相官邸前でアトムアラームというデモが行われました。メルケル首相が議会が夏休みに入る前にどうにか原発の稼働延長を決めようと画策していることが明かになったためです。太鼓やホイッスルや鍋など、うるさい鳴り物で警笛を鳴らそうという企画でした。

9月にはベルリンで再度大きなデモがありました。政府が原発稼働延長の決定を正式に表明した後のことでしたから、市民の怒りは最高潮にまで高まりました。官公庁の集まる区域を10万人で囲いこんで座り込みです。この日、特に目についたのは80年代ドイツの第一次反原発運動の最前線で活躍していただろうシニア世代です。デモのオープニングでは、有名なバンドなのでしょうか、当時の反原発運動でも演奏していたらしきシニアバンドが特設ステージで演奏し、白髪の男女が混在したグループが踊ったり歌ったりと大盛上がりでした。子どもに促されてやってきたという3世代で参加したファミリーのことが新聞にも載っていましたが、義理の母も体が丈夫だったら参加したかったと話していました。私も息子が生まれてからはほぼ家族揃って参加しています。決起集会のメインステージ付近には、環境保護団体や自然エネルギーを推進する団体、グリーン電力会社などがブースを出していましたが、ベビーカーを押していたら風車の絵本をもらいました。

10月末のベルリンでは平日の朝や夕方に緊急召集されるデモが続きました。オンラインで署名を集めて大統領に稼働期間延長を承認しないよう訴えたり、放射性廃棄物の入ったドラム缶(※もちろん本物ではありません)を最終貯蔵候補地ゴアレーベンからベルリンへと運んで連邦議会前に並べるアクションが行われました。その2日後には議会での審議に合わせて首相官邸と議会の間の道に集まりました。早朝にもかかわらず結構な人手で2000人ほどが来ていました。ブランデンブルク門前には大きなモニターが設置されパブリックビューイングで審議の様子を見守りました。

そして奇しくも3.11の翌日にも、南ドイツで大きな反原発デモが行われました。バーデン=ビュルテンベルク州選挙の2週間前に合わせて開催されたもので、同州の州都シュトットガルトからネッカーヴェストハイム原子力発電所までの45kmの道のりを6万人の人が手をつないでNO!を示しました。私は2月末にベルリンで行われた景気づけのほうに顔を出していましたが、この3月12日の夜にベルリンで緊急開催された日本の被災者追悼行進へも参加しました。前日からのfacebookやtwitterでの緊急呼びかけにも関わらず500人ほどが駆けつけました。日本のために黙祷で祈りを捧げてくれる人々への感謝と、ドイツの反原発運動の追い風として利用するつもりだろうという欺瞞と、私の心にはこれまで感じたことのない相反する気持ちが共存していました。

これを皮切りに、福島原発事故を受けた緊急デモがドイツの何百もの街で同時多発的に行われており、これはいまだに毎週月曜日続いています。3月14日には450の街で11万人、21日には726ヶ所で14万人と数はふくれ上がっています。日本で起きた事故の影響でこれだけの人が通りに出て反原発を叫んでいる。このことこそ日本の皆さんに知っていただきたいと思います。私は一時は現実から目を背けましたが、3月26日からデモに復帰しました。それぞれがそれぞれの場所でできることを続けていかなくてはならないと思ったからです。

後編:デモの裏方事情

ユミコ・アイクマイヤーさん プロフィール

埼玉県生まれ。獨協大学外国語学部ドイツ語学科卒業。企業および環境NGO勤務 を経て、2007年よりベルリンへ居住。環境分野の翻訳・調査業に従事する傍ら、 ロストック大学環境と教育課程(社会人修士コース)にて持続可能な発展のため の教育を学んでいる。訳書に『ドイツ環境教育教本』など。ブログはこちら