環境市民 パラダイムを変える | 認定NPO法人 環境市民

環境市民 パラダイムを変える

『KIKO』気候フォーラムニュースレター1997掲載
杦本 育生(環境市民代表理事)

地球温暖化に対して、私たち一人ひとりの人間は何ができるのであろうか。今回は生活者としての視点から考えてみる。さて、この問いに対して国、自治体などから多くの冊子やパンフレットが出てきた。その中に書かれている代表的なものをあげると「冷房の設定温度を1℃上げ、暖房の設定温度を1℃下げましょう」「空き缶はリサイクルに」「電気こたつの下には敷布団を」「人のいない部屋の電気は消しましょう」「自動車の不要なアイドリングをやめましょう」などなど、である。これらは環境に負荷をかけない生活の具体的な方法、態度のアイデア集である。

ただ、総じて「環境を守るために、便利で豊かな生活をちょっと我慢をしよう」という視点がある。テレビの公共広告機構のコマーシャルでも「地球を守るために、ちょっと我慢を」と呼びかけている。ここで考えなければならないことが2つある。まず「我慢」をずっと続けることができるのか、ということである。地球温暖化への対応は例えば今年1年だけやればいいというものではない。これから生きている間やり続けなければならない、しかも我慢をしなければならないことはより多く、より強くなるであろう。我慢は続くであろうか。

もうひとつは、環境に過剰な負荷をかけない生活(仮に「エコロジカルな生活」と略す)は、我慢する生活であろか、ということである。環境問題の講座に集まる人々に対してエコロジカルな生活は、プラスイメージかマイナスイメージか聞いてみた。いろいろな講座で尋ねたが、たいてい7割程度の人はマイナスイメージであった。環境に関心のある人達でもこの結果である。おそらく一般的には、もっとマイナスが多くなるであろう。

このエコロジカルな生活=現在の生活よりマイナス、という視点が「我慢する」という考えを生んでいる。我慢というのは、ある目的(この場合は温暖化に対応するために)ほんとうはしたいことをしないようにする、または、したくないこと・邪魔臭いことを敢えてする、ということであるから。

さて、それではエコロジカルな生活は我慢しなければならないのか、小さな具体例から考えてみよう。のどが渇いたので紅茶(コーヒーでもお茶でもジュースでも、好きなものに置き換えて考えて下さい)を飲もうとする、この時紅茶を手に入れる方法として缶入り、ペットボトル入り、ティーバッグ、リーフティー(茶葉、ポットで自ら入れるもの)の中から選択するとしよう。表でこの4つを比較してみた。香りとおいしさは個人の感性だから多少の異論はあるかもしれないが、値段が安くて、ごみ量が少なくて、おいしいものが揃っている。反対に値段が高くてごみ量が多くて、おいしくないものも揃っている。ごみ量が多いだけでなく輸送を考えても、缶とペットボトル入りはエネルギーを多く使い、温暖化をすすめる二酸化炭素を多く出す。

どちらを選ぶのか、これがライフスタイルを形作る。それでも缶やペット入りを選ぶという人の理由は便利だから、邪魔くさいからということであろう。しかし生活の豊かさはどちらにあるのであろう。家庭でも職場でも、おいしいお茶を飲みながら語らう少しの時間をなぜ失ったのであろう。私たちはお茶自らいれるほんの数分をおしみ、そのために資源と金を無駄遣いし温暖化をすすめているのである。外出するときも、その日最も飲みたいものを水筒にいれていくゆとりがあれば、それこそ自動販売機を探す手間もなくいつでもお気に入りのものを飲むことができる。そうではなく缶入りやペットボトル入りものを飲んで、リサイクルしなければと考えるから、心に負担=マイナスイメージ=我慢、となるのではなかろうか。これは一つの例にしか過ぎないが、生活の場面で私たちが同様の選択をしていることに思い当たるであろう。

地球温暖化など様々な深刻な環境問題に対して、私たちが変える必要があるのは、生活の方法、態度よりも、その生活の豊かさの価値観(何に豊かさを感じるのかその視点)ではなかろうか。価値観を変えずに方法、態度を変えても付け焼き刃にすぎず、我慢の限界はすぐに訪れる。価値観が変われば、我慢ではなく、エコロジカルな生活をすることの方が豊かに楽しく感じるので選びたくて、選ぶようになる。

私たちの社会は限りのない成長を前提としている。限りのない成長は、限りのない経済的拡大を意味し、大量生産、大量消費、大量廃棄(それを補完する大量リサイクル)社会を生みだし、地球規模の環境問題、南北問題、暴力的社会の根本的原因となり、人類の生存さえ危うくしている。それなのにこの限りのない成長が、私たちの豊かさや幸福をもたらすという価値観(パラダイム)を捨てられないでいる。この価値観であるかぎり、どんなに技術的な対応や生活の工夫をしたところで通産省の言うように、温暖化ガスの発生を削減するどころか「抑制」することさえ難しい。

それは、一人ひとりの人間でも同じである。しかし価値観を変えていくには、具体的な行動とその成果を感じることが必要である。次に紙幅があれば、今回あげた紅茶の例だけでなく具体的な行動のヒントになるようなことを、いくつか紹介してみたい。その個人の行動が、大量生産、大量消費、大量廃棄社会を変える力ももちうるという可能性についても述べたいと思う。また豊かな地域づくりも可能であることも。地球温暖化などがもたらす被害は、人類の存亡にかかわるものである。「歴史上初めて、人類の肉体的生存が、人間の心のラディカルな変革にかかっている(E.フロム『生きるということ』)」。そしてその心の変革は、決して我慢することではない。