14 おわりに、「循環」は目的ではないはず | 認定NPO法人 環境市民

14 おわりに、「循環」は目的ではないはず

文:堀 孝弘

日本は大量の資源を海外に依存していて、輸入資源・製品の量は輸出の8倍もあります。本来日本は緑豊かな国で木材や食料の生産力は高いものがありますが、海外の資源は安く国内の利用可能な資源がかえりみられなくなっています。私たちの目の届かない遠方の、しかも経済的に弱い立場の地域から資源を大量に持ってくることで環境破壊を引き起こしている場合が多くあります。逆に国内資源が利用されないことで、国内の山や農村は荒廃しつつあります。海外からの資源依存を減らすため、使用後の製品・容器の再生循環を図っても、ODA(政府開発援助)などで、発展途上国から安く資源を獲得できる仕組みを作りあげてきましたから、再生資源の循環にも制約があります。しかもODAの中に環境破壊を引き起こしているものがあるという指摘もあります。
国内資源が利用される条件や再生資源が流通できる条件をどう作るか、リサイクルする資源も含めて廃棄物全体をどう減らすか、これらのことを考えなければ、将来にわたって私たちの社会が持続することはないでしょう。そう考えると大量に資源が循環する社会よりも、もう少し幅の広い「持続できる社会」の議論が必要と考えます。
その議論に必要な要素のひとつとして紹介した「拡大生産者責任」は、企業にとても大きな負担を与えるように見えますが、実際の負担は利用者本人が負うわけで、負担の公平性を実現します。なにより企業が回収責任を負うことで、製品・容器の再使用やコンパクト化を促すなど、モノづくりに影響を与えます。それだけでなく、回収も考慮するとモノの移送距離は今より短くならざるを得ず、地場の事業者や商店が有利になります。地域ごとに産業が成り立ち、空洞化を防ぐ条件が作れるわけです。
地域が自立でき、人々の目が届く距離の資源が利用されるようになれば、環境保全につながる持続的な資源利用がなされるでしょう。「地域自立」実現の課題は、「拡大生産者責任」だけでなく、地方分権や地域コミュニティーの回復、エコマネーなど他にもまだ多くあり、簡単には実現できません。「それぞれの地域が自立できる社会」の実現を図らなければ、「持続的に存続できる社会」は実現できないと考えます。

しかし現在の国内の「循環」をめぐる議論は、循環が「持続可能な社会」を作るための一つの手段であり、循環そのものが目的ではないことを見落としているものが多くあります。日本の「循環型社会基本法」も、その大事なところを見落としたものであることが、本著の中でご理解いただけたかと思います(了)。

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