21世紀、地球を、地域を、生活を、持続可能な豊かさに
第12回 エコ活動はできることから……、でいいのか?
文・写真 / 環境市民代表理事 杦本 育生
日本政府や各地の自治体の環境活動を呼びかけるパンフレットの中に、必ずと言っていいほど出てくるのが「できることから」行動しよう、始めよう、という呼びかけである。そして「テレビを見る時間を1日1時間減らそう。買い物には買い物袋を持っていこう。冷房温度は28℃に設定しよう」というコマメな行動が提案されている。自治体が主催する環境イベントやセミナーなどでの挨拶を聞いていても、ほとんどこの「できることから」ということが語られる。
確かに環境問題は議論をすればいい、知識があるからいいのではなく、行動しないと意味がない。だから「できることから」行動しよう、始めよう、という呼びかけは悪いことではない。またコマメな行動も必要なことだし、私も実際にやっている。
しかし、ほんとうに「できることから」行動しよう、始めよう、でいいのだろうか。日本社会では例えば、再使用容器に入った飲料を買い、その容器を返却したいと思っていても、びんビール以外は難しい。フェアートレード商品を選ぼうと思っても、スーパーや商店ではほとんど扱っていない。公共交通を利用しようとしても、大都市やその周辺地域以外は、よほど時間的余裕がないと使いにくい。自転車をもっと使おうとしても、車道はたいてい危なっかしいし駐輪場所もあやふやだ。
できることから始めても、日本ではすぐに壁にぶつかってしまう。できることの範囲が狭いのだ。何もドイツを素晴らしいというのではないが、例えばドイツの多くのまちでは、このような行動を誰もが無理なくできる。いや、そんなに環境意識がない人でも、多くの飲料は再使用容器で売られているので、それを買うし、レジ袋をタダではないので買い物袋は誰もがもっている。自転車は安全に便利に使えるようにハード、ソフトの整備がなされているし、安くて使いやすい公共交通システムの整備がすすんでいる。
この違いはあまりにも大きい。日本でほんとうに必要なのは「できることから」行動しよう、始めようよりも、できることをより多く、より無理なく、より深くするための活動なのだ。例えば、リユース容器を優先する仕組みづくり、公共交通や自転車を優先するまちづくり、自然エネルギーの導入が進む社会制度、といった社会の仕組み、制度を変えていくための活動が求められている。
このような活動は、個々人や個々の企業だけでは無理がある。主体となるべきは環境NGOであり、自治体であり、政府であり、また住民や企業も参画したパートナーシップ型組織である。
特に環境NGOの活動は、このできることを増やし深める社会提案を行うことではないだろうか。もちろん単に理論的な提案では社会的インパクトは少ない。自ら実践活動をしながら、具体的な社会的な仕組みをつくりあげていくことが求められている。
環境市民は、これまでグリーンコンシューマー活動、環境首都コンテスト活動や自治体とのパートナーシップ活動で、少なからず社会的な仕組みを変えることが可能であるという経験をしてきている。
ところで環境省が地球温暖化対策としてコマメにできることから行動しようと、しきりに国民に向けて呼びかけているのはなぜなのだろうか。その要因の一つは、環境省の権限があまりにも狭い範囲に限られているからではないだろうか。地球温暖化防止に必要不可欠なエネルギー政策は経産省に、交通政策は国交省に握られている。ごみ政策も厚労省である。地球温暖化で総合的、本質的な政策を組みたくてもできない状況にある。
この障壁を突破することは省庁や政府では現状をみるかぎり難しい。ただ可能性があるとすれば、環境NGOが先進的な自治体や企業とパートナーシップを組んで、地域から社会的仕組みを変える実践を重ねながら、政府にアタックしていくことであろう。
できることから行動するだけでなく、いまできないと思われていること、困難と思われていることを、できることにしていく、それが環境NGOに求められている姿勢ではないだろうか。そうでなくては、京都議定書を守ることさえ日本では不可能になってしまう。
(みどりのニュースレター 2007年5月号 No.168掲載)