第6回 格差社会からの脱却 | 認定NPO法人 環境市民

第6回 格差社会からの脱却

文/代表理事 すぎ本 育生

「格差」という言葉がよく使われるようになった。格差が広がっているのかどうかが議論になり、「勝ち組」「負け組」という嫌な言葉も平気でマスメディアにのるようになっている。いま語られている「格差」とは日本国内の所得格差のことと言い換えられるだろう。政府は「言われているほど格差はない」としているが、現実には大きく広がってきている。

20〜30年前だったろうか、京都には「河原町のジュリー」と呼ばれたホームレスがいた。知事や市長は知らなくても、京都で彼を知らない人はいないというくらいの「有名人」であった。なぜそれほどまでに有名であったのかと言うと、その姿の特異性もあったが、当時は京都の街中にホームレスはほとんどみられなかったからであろう。しかし今や京都でもホームレスは多く見かけるし、大阪、東京では日常の風景になってしまった。

仕事で東京に行くと、駅で「人身事故で○○線は現在運転をストップしております」というようなアナウンスをしょっちゅう耳にする。その人身事故のほとんどは鉄道自殺である。日本の自殺者は98年に前年から8500人も急増し、年間32000人を超えている。80年頃に較べると1万人以上増加している。中でも失業などの経済的理由による中高年男性の自殺が急増している。世界精神医学会の推計では、日本の実質自殺率は世界一となっている。

「先進国」の集まりであるOECD(経済協力開発機構)加盟国の中で、日本の貧困率(注1)は15.3%と、5番目(統計のある27カ国中)の高さで、しかも急増している数少ない国である。逆に低いのはデンマーク、チェコ、スウェーデンなどで5%内外であるが、かつて日本もこのような率であった。当初所得(注2)でも80 年代前半までは上位2割の平均が下位2割の平均の10倍以内であったが、02年には168倍になっている。金融広報中央委員会によると貯蓄残高ゼロの世帯が95年7.9%であったのが23.8%に急増している反面、貯金保有世帯の貯金額平均は、この間に250万円以上伸びている。

まだまだ、格差の広がりを示すデータは多いが、バブル崩壊の経済回復を狙った市場万能主義がもたらしたものであると言えよう。市場経済は、極めて簡単に言えば、競争によって経済のパイを大きくし、やがては大多数の人が豊かになるという概念である。しかし、かつてケインズが注意を喚起したように市場経済の行き過ぎは、社会に混乱をもたらし格差を広げている。

「お金」と「消費」を最大の価値尺度とした社会は、そこに生きる人間を競争に巻き込み、共に生きることより他者を蹴落とすことを強いるようになった。自分が負け組にならないためには。そしてこのような社会と価値観が環境破壊の根源的な要因である。格差は、日本国内だけではない。それ以上に世界の格差「北」と「南」の差は拡大するばかりである。推計では、アメリカで食糧の半分近くが、日本では約4分の1が廃棄され、かつダイエットに熱心にならざるをえない人が多いが、反対に国連によると約8億人が飢餓人口となっている。同じ地球の同じ時代に生きならこの格差はあまりにも悲惨である。またUNDP(国連開発計画)によると世界の所得分配は、上位2割が所得の全体の8割以上を得て、下位から6割は6%にも満たない。開発途上国の中でも、上下格差が拡大している。

その格差が貧困、対立、さらには内紛、戦争の大きな原因となっている。私たち人類世界の最大の課題となった「持続可能な社会・開発」は「環境」「経済」「社会的公正」の3つの要素がすべて上手くいっている状態と考えられている。市場万能主義は、結局一部の国の一部の人を金銭的に富ますことはできたが、持続可能性を、経済も含めて全ての要素で損なうことが明らかになったと言えよう。このような「お金」と「消費」を最大の価値尺度とした社会から脱出することが、持続可能な社会を築く必須要件である。

環境NGOの活動戦略もこのような視点からも組み立て、社会に提案していく必要がある。環境市民では、これまでグリーンコンシューマー活動を発展させてきたが、さらに、企業を持続可能な社会を創るための活動・貢献という視点から評価し、人々の消費から社会・経済のあり方を変えていく具体的な活動をおこしていきたい。

注1貧困率 所得が全国民の所得の中央値の半分以下の人の割合。データは2000年
注2当初所得 税金、社会保険料を差し引く前の所得

※この連載の奇数回では、世界や日本の豊かな自然を描き、偶数号では今回のように日本社会やNGOへの提案を載せて行く予定です。

(みどりのニュースレター 2006年5月号 No.156掲載)