市民活動の未来を拓くセミナー第3回「地域に活動を広めた事例」報告その2 | 認定NPO法人 環境市民

市民活動の未来を拓くセミナー第3回「地域に活動を広めた事例」報告その2

このコーナーは,2002年から2013年まで環境市民の事務局長を務めた堀孝弘が,在職時に書いたブログを掲載しています。

水俣茶の普及と、ゼロウエイスト(ごみゼロ)を具体化する「茶飲み場」を広める活動

ゼロ・ウエイスト水俣 小里アリサさんと大嶽弥生さんの報告

小里アリサさんの自己紹介
もともと東京で公務員をしていた。水俣に転居して26年になる。水俣では、グリーンスポーツみなまたの管理と自然体験活動をおこなう水俣自然学校を運営している。市のキャンプ場が財政難で閉園が検討された時に、市民有志で継続を求める活動を行い、存続されることになり、その管理をしながら森と海のと人のつながりを体験できる活動を提供している。
水俣はすぐ沿岸で漁ができる。豊かな海があり、魚も安心して食べられる。エコツアーの場として最適。東京や大阪からも多くの人が来てくれるようになっている。

水俣病と向き合ったまちづくり
水俣を語るとき、水俣病は避けられない。チッソが1932年から1968年まで約36年にわたり有機水銀を海に不適切に排出していた。有機水銀に汚染された魚は味もにおいも変わらなかったという。人も自然もたいへんな被害を受けた。1970年代から水俣湾のヘドロ浚渫と埋め立て事業が始まり(1997年に水俣湾の魚介類の安全宣言が出された)、1990年からは地域再生、環境創造事業が進められた。まちを支える企業が起こした水俣病を巡って、住民の間には対立が起きた。被害者が、まちのイメージを暗くする加害者とされてしまう構造もあった。地域最大の課題の水俣病に長く向き合えなかったが、よその人からは水俣病が忘れられることはない。逃げたいけれど逃げられない。それならと水俣の人たちは腹をくくった。

水俣市の山間部では茶がつくられていた。
水俣病の影響で、お茶でさえ水俣という名前がつけば売れない時代があった。鹿児島や静岡の茶に混ぜて売られていた。二代目、三代目を中心として、水俣だからこそ安心して飲めるお茶づくりをしてきた。他の生産者も自分たちの地域名でお茶を売りたいという思いだった。その思いとゼロ・ウエイストが結びつき、低農薬から無農薬、無化学肥料施肥で作ったお茶を、ペットボトルや紙コップでなく、急須でおいしく飲んでもらいたい。それによって水俣にはおいしいお茶があることに気づき、地域を元気にしていくことにつながると考えた。

また、山間部で農薬を使えば、海を汚してしまう。きれいになった海をもう汚すことはできない。水俣湾の埋め立て事業では、中に居た魚たちもいっしょに埋め立てた。
茶のみ場の取り組みは、おいしいものを作り、環境も汚さず、かつ地域の資源を広める事業と言える。

対立から創造へ もやい直しが茶のみ場の原点
市民には様々な思いがあった。これを聞き出すことも大切。水俣のまちは、水俣病との関わり方で敵対関係があった。立場や思いが違うと、お互いを「あっちの人」と思っていた。なかには「水俣病の患者や支援者は暴力集団。まちのイメージをこわす」という人もいた。2002年まで水俣市長を務められた吉井正澄さんは、1994年市長に就任して最初の水俣病犠牲者慰霊式で、市長として初めて公式に謝罪を行った。これにより「対立を創造のエネルギーに」と「もやい直し」が始まり、水俣病と向き合っていくことになる。これが今に至る市民協働の取り組みの原点と言える。
1994年には、今後10年の市の総合計画を市民が話し合うプラン21市民会議の議論が始まった。これから市民や、水俣病の患者がどうやって暮らしていくのか、どうやって皆が幸せに暮らせるか、会議の場でお互い話す場ができた。それがスタート。それまでおそるおそるだった。出会いをプラスにすることができた。


ゼロウエイストを具体化する茶のみ場

水俣市総合計画を策定する過程をはじめとして、90年代から自分たちのまちを自分たちで考える経験を積んだ。
2008年に熊本学園大学水俣学現地センター(水俣市)でゼロ・ウェイストや廃棄物についての情報を共有し、話し合い、具体的な講堂につなげていくための場として、市民・事業者・市役所職員・大学教員等によって構成されたゼロ・ウェイスト円卓会議が開かれた。
ゼロ・ウェイストをどうやって具体化するかを議論する中で、「茶のみ場」の構想が生まれた。魔法瓶の象印の給茶スポットを参考に、水俣では水俣茶を用いて給茶ができないかと考え、それを具体化するために、2010年に茶のみ場ワーキンググループが作られた。茶のみ場は、マイボトルを持っていくと100円で水俣のお茶がたっぷり手に入り、ペットボトルのお茶を買うよりおいしくて・ちょっぴり安くて・ごみが出ない場所。出張茶のみ場で、市内の人たちに知ってもらう機会を設け、昨年から、常設で茶のみ場を設置してくれるところが出てきた。おいしいお茶が飲める場づくりを通して、ゼロ・ウェイストのライフスタイルが根付き、地域の魅力をさらに引き出していけるようになりたい。


大嶽弥生さんの報告

大嶽弥生さんの自己紹介
私の出身地は岐阜県多治見市。市役所の職員をしていた。定年までにはかなり時間があったが、2003年水俣に移住してきた。茶のみ場の作業部会には第1回から参加している。水俣市役所環境モデル都市推進課が事務局の役割を担っている。
産廃処分場建設反対運動や、その後、水俣市内の石飛地区に建設予定だった大型風力発電機の建設反対運動にも関わった。熊本学園大学水俣学現地研究センターの客員研究員をしている。現在、水俣市の標高600mあたりのお茶の産地に住んでいる。

茶のみ場が直面した問題と解決
常設の茶のみ場は現在4カ所。儲からない。一杯100円だが、それぞれの店はお茶の専門店ではないので、時間をかけて十分な説明ができない。これではなかなか広がらない。解決策として考えたのは、個々の店が出している飲物を、お客さんが持参したボトルに入れてもらうのでもよいのではないかと考えた。それだけでもペットボトルを減らすことができる。商店街の人たちには茶のみ場の目的を理解してもらいつつ、自分たちにできる形でやってもらう。それまで「水俣のお茶を急須で淹れる」事にこだわり、活動が広がらず悶々としていたが、肩の力を抜いたことで、「これならできるだろう」と感じるようになった。

活動を通じて得たこと、感じたこと
出張茶のみ場によって、認知度を高め、広く知ってもらう。目的は水俣茶を知ってもらうこと。生産者のなかには、農協を通じて出荷している人や自分で販売している人等もあり、茶のみ場の活動に対しての理解や足並みが揃わなかった。しかし、出張茶のみ場を通じて、直接消費者と接して反応を知ることができたと農家女性や商店街の人たちも共感を持って、参加してくれるようになった。
小さな場だが、茶のみ場は、水俣病で寸断された人と人とのつながりを戻す場となっている。商店街の人たちにも、情報交換の場にもなった。
水俣は居ながらにして、いろんな人と出会うことができる。外から来る人も多い。水俣にはぜひマイボトルを持ってきてもらいたい。

今後の活動
メンバーが増えないのが悩み。出張茶のみ場を要請されても、人手が足りなくて対応できない時もある。行政職員の異動で活動が後退することもある。行政内での位置づけも高くない。
地域再生や中山間地の活性にしても、まだまだ道なかばという思いがある。


 

質疑から
先の報告者・朴恵淑さんから「四日市市内でもお茶はとれる。しかし公害のイメージがあるとのことで、四日市茶としては売られていない。水俣を前面に出す強さは何か。前面に出すまでの経緯はどのようなものか」との質問が出た。
朴恵淑さんは四日市公害の経験を活かした「四日市学」の提唱者で、水俣と四日市を比べたこの質問は、主催者にとってもたいへん興味深いものだった。その質問への小里さんから返答は、下記の「報告から得た教訓」にも反映させているが、返答のなかに、元水俣市役所職員で、現「水俣病資料館」館長の吉本哲郎氏が提唱された「地元学」の成果があげられた。
下記「教訓」のうち、「公害都市から環境モデル都市へ」では、水俣と四日市の比較も視野に入れて考察している。

報告から得た教訓
・公害都市から環境モデル都市へ
■公害に正面から向き合ったことで、負の遺産をプラスに転じた。
公害を忘れる、逃げる、ではなく、公害に正面から向き合うことで、負の遺産をプラスに転じることができた。また、市長の謝罪と総合計画の市民参加による議論などによって、市民の思いを同じ方向に向けることができた。

■人と人のつながりから地域再生、環境創造を進めた。
水俣では、水俣病に直接関係があるか否か、公害企業との関わりなど、立場の違いが住民の人間関係に大きな亀裂を入れた。そのため、地域再生、環境創造では、ハード的な対応だけでなく、もやい直しなど、人と人のつながりの再構築に力を入れた。
また、水俣には「地元学」があり、無いものねだりではなく、人の暮らしや文化なども含め、「あるもの探し」「地域の宝さがし」を進めた。その過程で、他地域の人の意見も採り入れるなど、「人のつながり」を他地域にまで広げて考えたことが、他地域の人も魅了する再生水俣を生む力になったと思われる。

■もともと美しい自然や風土があり、地元への愛情を持った人が多かった。
今回の報告者のお二人も、他のまちから移住してきた人。他のまちの人をも魅了するほど美しい自然や風土、人々の暮らしや文化が水俣にはあった(地元学の成果でもある)。

以下は、「茶のみ場」の取り組みを軸に、本報告のテーマである「地域に活動を広めた事例」として得られた教訓
■ゼロ・ウエイストと地元学の一致
公害都市からの再生の過程で得られた地元学の成果と、これ以上環境を悪くしたくないというゼロ・ウエイストの思いが一致した。地域資源である地元のおいしいお茶の普及と、PETボトルごみの増加抑制への思いの一致は、生産者、商店など多くの人の共感を得ることにつながった。
■ ゼロ・ウエイストの理念を忘れず、時には柔軟に展開
PETボトルの分別リサイクルを進めるのでは、ゼロ・ウエイストにも地元の水俣茶を広めることにもならない。紙コップも使用せず、ゼロ・ウエイストを追求したが、急須でいれることが普及の障害になっているとわかると、理念を大切にしながらも、ポットでの供給など柔軟な対応を取り入れた。

《番外》
■人口規模が環境活動にもたらす影響

比較としてあがった四日市市は、三重県で最も人口が多く、県内で唯一30万人を越えている。公害により甚大な影響を受けたが、30万人も人口があれば、受けた影響は住民間でも差があったと思われる。一方水俣市は、人口3万人で、全住民で公害に向き合わなければならなかっただけでなく、住民のコミュニティーの密度が、地域再生、環境創造に向かった後の取り組みを深いものにしたと思われる。
四日市市は、三重県内のレジ袋有料化普及でも大苦戦した地域である。一方、全く違う指標を持ち出すが、スチール缶の1人あたりリサイクル量は、人口規模が少なくなるほど多く、特に3万人未満の地域はそれ以上の地域より格段に多い。人口規模がコミュニティーの親密度にどのように影響し、さらに環境活動にどのように影響するか、興味深いテーマである。

以上

 

市民活動の未来を拓くセミナー 第3回「地域に活動を広げた事例」10月31日
 

三重大学 朴恵淑先生へのコメントもここに掲載しています。

<わかちあい>

■今日学んだこと、得たことで、「これは実践したい」「参考にしたい」「周りの人に伝えたい」と思われたことはなんですか。どの報告からでも結構です。

・「レジ袋からまちをうごかす」的な朴先生の発表は大変興味深く、この手法は参考にしたいと思う。
「みなまた」と市と病が同じ名前…このイメージを新しいプラスにする活動とエネルギーと思いに感動しました。←ポジティブな“みなまただからこそ”という説得力。マイナスイメージをプラスに換えて「強み」にする。
ともにまちのブランド化が市民へのアプローチ。
・物事を進めていくのに、自分の思いが強く出やすいのですが、改めて、周りの人の声を粘り強く聞いてバランスをとることの必要性を知りました。
・レジ袋の取り組みについては、お話のあった状況が課題でもあり、解決策(の1つ)だと思いました。状況に応じたプレイヤーと巻き囲いだと強く感じました。
・水俣がご紹介いただいたような美しい街と知りませんでした。これまでの大きなプロセスの一部をご紹介いただいたと思いますが、着実に成果が生まれていると感じました。お茶は、産業振興、つながりの部分と、もちろん目的にもあがっていましたが、環境側面だと思いますが、最後の部分ももう少し強調した方が、訴求力が生まれるように感じました。
・朴先生が取り組んでこられたことをお聞きして、私たちが8年前から取り組んでいる「レジ袋いらない」運動と全く同じと知りました。行政に働きかけても進まない中、市民祭りで啓発活動をしたり、保育園、幼稚園、小学校で手作りの紙芝居をみせたり、替え歌で踊りながら啓発をしたり、スーパーの店頭での持参率調査等もやりましたが、今後どうすればよいかということがわからず困っていました。先生から、「変わる時は一気に変わる」と教えられて希望が持てました。
・県知事へマイバックプレゼント作戦。
・「茶飲み場」のイベント会場への出店を参考にしたい。ペットボトル削減。
・レジ袋有料の話を聞き、私たち8年前から「レジ袋要りません」啓発活動、ポスター、紙芝居、袋音頭(替え歌)まで、踊りの振り付けをして啓発、持参率調査も毎年6月環境月間に市内スーパーで行い、平成17年0.8%から平成24年25.5%まで上がりました。今後どのように進めていくかが課題と悩んでいます。有料になれば持参率は上がりますか?今日は本当に参考になり、今後の活動につなげたいと思います。
・三重の事例 住民―事業者―行政で認識を共有している点。
レジ袋に対す思いをまず出しあってから。
グローバル→ローカル→グローバル視点を変えながら意義を確認すること。
・水俣の事例 出店しながらメンバーを増やしていったこと。
地元のものを宝として見出し、環境を考える場、コミュニケーションの場となっていること。
・3回通して共通しているのは、市民・事業者・行政の三者協働で活動を進めていくためには、win-winの関係をいかに作っていくかということ。
・今は、お金をかけて新しい物を作るというのは難しい時代なので、今そこにある物の価値を見つけて磨いて伝えていくというのはとても大切なことだし、ぜひ参考にしたいと思った。
・全体を通してコミュニケーションの大切さを痛感しました。肩書や会社の名前ではなく、一人ひとりのつながりと、思っていることを分かり合えることがすごく大切なことになってくると思います。私たちは、社会の一部として、しかし一個人として、何を求めているのか、そしてなぜそれを求めるのか、考える必要があると思います。
・意見の合わない人同士の意見のすり合わせをとことんさせることが必要なんだと思った。アウトプットの共有。シェアすることで植えつく安心感。
・協力し合わないと何事も前に進んでいくことができないと再認識。毎日エコバックは持ち歩いているが、お店のレジ袋を利用しがち。少しでも心がけが大事。
・こんなにCO2が排出されているとは知らなかった。
・「女性が動くと社会が動く」「焦りは禁物。周りの顔色を見るのもどうか」「志のある人たちの緩やかなネットワーク」
・茶飲み場をやっているのが、よそから移住した女性。自分の飲みかたを開発する。
・三重のレジ袋削減:行政の壁というのがなかなか難しいようだと改めて感じた。私自身、行政で働いている人間なので、「耳が痛い」「心当たりがある」といった感じだが。逆に、味方につけて一緒に一気にやる!という効果や、反対派市民との根気強い対話の必要性と効果も教えていただいた。
・茶飲み場:地元のいいもの、あるもの、宝を、組み合わせて光らせていくという素敵な考え。実践してみたいです。お茶を入れて飲むという和の文化を、ごみ減量とミックスさせて人に伝えていくという点が、とても共感(共鳴?)しました。そういうことをやってみたいです。
・朴さんのデータに基づいた分かりやすいお話を取り入れたい。
・大学がコーディネートしていくこと。市民が始めることをバックアップしていけるように。
・まち―まちのネットワーク。
・水俣病で知られる水俣地域において、あえて水俣茶を前に出した「茶飲み場」の話は、ぜひとも多くの人々に聞かせたい。三重にも四日市公害で苦しんだ地域であるが、水俣地域のお茶は四日市ブランドではなく伊勢茶として売っている。同様な問題を経験しながら、発想の転換によって両者の差がはっきりしてきていることに気づくのと同時に、水俣の皆さんの取り組みを四日市に紹介し、突破口を見つけられるように助けてあげたい。素晴らしい発表内容でした。
・ローカルなことはグローバルから、グローバルなことはローカルから。
・焦ってはいけない。時を逃してはいけない。
・市民委員は市民同士が出会う場。
・お茶から始まる。
・考えの合わない人とも触れる。
・3,4年合意形成。段階がある。衝突を恐れない。
・正しく伝えること(地域でも教育でも)→情報をわかりやすく伝えること。
・コミュニケーションでの人と人の温度を上げること。
・粘り強くあきらめないで進めること→焦らないためには長い計画と体力が必要。


■「私なら、このようにアレンジするよ」というアイデアがあれば記してください。

・みなまた村まるごと博物館→知ること伝えること、世代が変わった点。
・茶飲み場、無農薬の取り組み、すばらしいです。“水俣だからこそ…”というメッセージをもっと発信していってもいいのではないかと思いました。
・無農薬茶マップを作っても面白いかもしれないですね。(どこで手に入れるか等、煮た取り組みの関連付け)
・全部の町のネットワークができたらおもしろそう。
・水俣は自分の町でやっていることをどう広げるか、課題かな。
・①環境市民の皆様へ→ドイツなどの環境先進国(地域)で、行われている諸システムを日本(環境首都)へ上手く導入し、運営している姿勢には学ぶべきことが多い。ただ、日本的発想や取組、たとえば、「MOTTAINAI」などの部分を加味したシステムが作られれば、ドイツの発展型だけでなく、日本的(独創的)取り組みとして、世界的な指標となれると思います。
②茶飲み場(水俣)の皆様へ→水俣のイメージを変える大切な取組なので、ぜひとも広めていただきたい。「地元学」としての皆様名の取り組みに期待しています。
・今地域にある物に気づく努力、視点。
・市民の、地域のウェーブを組織にフィードバックする努力。

<アンケート>

■わかちあいで得られたことについて
□ほかの参加者に伝えて、共感してもらったこと
・市民の意見をまとめるのは大変。
まとめるには、ルールを決めて話し合う、コーディネーターが必要。
・行政のかかわり方について。
・①身近な?への取り組みはそんなに簡単なものでもないけど、かといって難しいものでもないですね。
②仲間をつなげることで1+1=2ではなく、100にもなれることを学びました。
③このような機会を増やしてください。(環境市民への期待)
・冗談にまぶして美味しいものを食べながらやる。
・ごみを減らしたいということで集まったことを確認する。
・根気強い対話の必要性。
・コミュニケーション力と学ぶ力、できることがたくさんあると思う力。
・無農薬のお茶が素晴らしいということも!
・「レジ袋要りません」啓発活動にはげみが付きました。他市の行動を知ることができ、とても参加できてよかったです。
・レジ袋をなくしたい思いはお互い共感できた。
・私たちが行ってきた活動をお話したら、すごい活動を、と感心されたり、今後の展望も感じられたりしたことが、励みになりました。これからも地道に活動を続けることにより、一気に変わることを願っていきます。
・「レジ袋からかえる」という点。

□ほかの参加者から「わかちあい」で得られたこと
・1年2年では結果は出ない。3年4年以上の粘り強い活動、コミュニケーション、合意形成が必要。
・市民にとって「得」なことがあれば進む。
・時間はかかるが社会や価値観をかえていくことはできる。
・①袋音頭は素晴らしい。おばあ様パワーをツールに生かしたい。
②神戸市、京都府、奈良など関西でのレジ袋ゼロ運動に期待しています。
・バックグラウンドの違う参加者の意見の違いに、苦労されているのはどこも同じ。
・女性が動くと社会が動く。
・「冗談にまみれてやる」「おいしい物を食べながらやる」水俣の元市職員のお言葉、話し合いや会合の心得?「そうだなー確かに!」と思いました。
・他地域とのネットワークをつくる。お互いの意見をとことんすり合わせ、行政を味方につける。容リ法でレジ袋が増えると、事業者も負担が増える。ミッションをいつも確認する。テーブルについて話し合えるまでに時間がかかる。冗談にまぶしてやる。おいしいものを食べながらやる。
・女性が動くと社会が動く。冗談交じりでやる。おいしい物を食べてやる。「目的」を明確に話し合いする。
・市民と行政ばっかり。市民と市民もつなげなきゃ。
・自分の町だけ、町から町へ広げることへの課題。
・レジ袋への考えかたが変わった。
・女性が動くと社会が動くと感じた。
・シニアの方をまとめることの課題を感じていた。
・レジ袋への再認識。
・行政の壁は大きいが、味方につけて一緒にやること。
・地元の宝を活かすこと。
・ごみ減量とミックスさせた素晴らしさを見習いたい。
・テーマの認識を繰り返し行う。
・情報発信と方法の大切さ。(コミュニケーションとつながるのですが)=わかりやすさ。それに、地域愛(これももちろんコミュニケーションです!)自分の町を知るということ。
・想いを伝えること、粘り強く活動を続けることが大切。
・地域愛、人とのつながりをいかに育てるか。
・レジ袋削減について、ただごみを削減するのではなく、温暖化防止の一つの手法としてとらえ、伝えているところが受け入れてもらい易かった要因ではないかと感じた。
・みなさんが熱心に語り、学び合う姿に感動しました。
・水俣のお茶の話も素晴らしいと思いましたが、水俣市の地域の人の話声も聴けたら、と思います。
・レジ袋有料化をしたい市町村が多いことに安心しました。
・行政の方の参加でうらやましい気もしましたが、私たちが行動することにより可能かなと思うことができました。
・①一つの活動を進めるのに、いかにエネルギーと根気がいるのかを示してもらった。
②最初の思いのプロセスを揺るがないものに作り上げていく大切さを教えてもらいました。
・コミュニケーション
・肩書なくす。
・ボランティア
・できること、何のために、だれのため?
・環境、仲間集め
・自分の想いを伝えるむずかしさ→さらに伝えられること
・レジ袋―大学
・茶飲みの地域マップ
・粘り強く続ける。
・段階がある。

■セミナー全体を通じて、気づかれたこと、ご感想があれば、お書きください。
第1回、第2回に参加された方は、それも含めて。

・お茶の話でも環境問題を伝えられる。おいしいだけではなく、教育活動も必要。すべての食から、環境問題を伝えられる。
・良い機会をありがとうございました。新たな視野を頂けました。
・多くの方々が身近な生活改善に取り組んでいるのがわかりました。
・環(輪)となるつなぎ役を環境市民にお願いしたい。→認識共同体を作りましょう。
・セミナーに参加する方の悩みや課題があらかじめ出されていると、そういうことにも触れながらお話しできたのかもしれません。
・分かち合いの時間はそれぞれのされていることを交えながらの話ができ、とても有意義でした。ぜひ取り入れたいと思います。
・仲間を増やす努力を格好だけでなく内面から、また実際に、アクションを起こしてするという大切さに気付かされました。(口先だけではだめだと。本質を究明して行動せねば。)
・対話することを逃げてはいけない。反対されるからとか、何か言われるからと排除せず、対話を繰り返し、丸ごと受け入れて進んでいくことで、変化が生まれるのだと、セミナーを通して学びました。
・「女性が動くと社会が動く」。女性が動きやすくなるコーディネートが必要。「良い事例には良いプロセスがある」。
・ごみを減らす活動は様々だが、ごみを減らすという「目的」を明確にして生活していかなければと思いました。
・ほかのセミナーや体験学習にもどんどん行きたいと思います。
・環境問題の深刻さや大変さというのではなく、ポジティブな印象を受けたのがすごく喜ばしかったです。(マイナスからは何も生まれない)この場を作ってくださった皆様への感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。やはり他の方から学ぶことは多いですね。
・3回のセミナーの8つの事例はどれも違うことをしているけれど相手に思いを伝えること、粘り強く活動を続けること、win-winの関係を作ること、活動への参加を無理強いしていない、など共通している部分がたくさんありました。
・ありがとうございました。元気がいただけました。行政として市民の方にわかりやすいよう発信し、一緒に取り組んでいけたらと思いました。
・似たような体験をしている人の多さに改めて気づいた。
・適切な運営でよかったと思います(スケジュールはじゃっかん動いていましたが)。ありがとうございました。
・一般的には上から目線のセミナーが多いのですが、こちらのセミナーは、講師、参加者と一体になって進められているのは素晴らしい。事務局の皆様ご苦労様。
・動かなければ出会わなければ何も変わらない。遠くから事例発表をしていただき、ありがとうございました。
・環境というすべての営みの中にあるものに、これからも目を向けてよりよくなっていきたいと感じました。ありがとうございました。