第4回 変革の力に NGOに求められていること | 認定NPO法人 環境市民

第4回 変革の力に NGOに求められていること

文/代表理事 すぎ本 育生

不思議に感じないだろうか?
この10年ほど「ISO14001(環境マネジメントシステム)など企業の環境への取組みは、以前に較べれば格段に進んだ」「多くの種類の環境対応型商品が開発、販売されるようになった」「ごみの分別・リサイクルは大きく前進した」「各地の自治体で、新エネルギープラン、省エネルギープランが作られ、また地球温暖化防止の施策、活動が始まった」「環境NPOも増え、協働事業も各地で行われるようになった」等々。
このようなある意味で顕著な変化があったのに、日本の温室効果ガス排出量は1990年に較べて約8%増加し京都議定書の義務は到底果たせそうにない、家庭からのごみの排出量はバブル期よりも増加し高止まりしたままである……、なぜこのように効果が出ないのか、不思議に感じないだろうか。

その理由として、今回は3つの要素をあげよう。ひとつは第2回に述べた、ビジョンの欠如である。持続可能でかつ本質的な意味で豊かな社会像を日本は描けていないことにある。2つ目は、多くの事業、施策、活動が個別の対症療法的なものに留まっていて根源的な変革へのアプローチに繋がっていないことである。例えば、ごみが多いからリサイクルする、クリーンアップする。温暖化防止のために、コマメに電気をつけ消しする、暖房温度設定を1℃下げる、クールビズする、というような行動である。
これらの活動は決して悪いことではないし、できるかぎり実行した方がいい。ただ、いくらこのような行動をしても社会を変えていく大きな効果は期待できない。なぜなら、これらの活動は対症療法にすぎないからだ。例えば、ごみを減らすためにはリサイクルよりも、包装そのものをなくすリデュース、何度も洗浄して使う容器にするリユーズの取組みが根源的なアプローチになるのだが、ごく先進的な取組みを除けば、あまりなされていない。
もうひとつの理由が社会システムを変えていく試みがほとんどなされていないことにある。例えば、個々の自動車の燃費性能が上がっても、自動車がないと生活ができない地域社会になってくことを放置し、公共交通の充実より高速道路建設に圧倒的な税金をかけていては、運輸部門の二酸化炭素排出が減少するわけがない。自転車、公共交通を活かした中での自動車のワイズユーズ(賢い使い方)ができるまち創りをしていくという都市計画、交通システムを変えることが求められている。
また、上述のリユーズ容器を用いるには、その回収と洗浄・再利用を行うシステムがいる。さらに、全ての容器のリユーズ、リサイクル費用を事業者負担とし、その費用がより多くかかる使い捨て容器(リサイクルにまわされる)に入った飲料の販売価格が結果として高くなるというような、経済的インセンティブが働く社会システムをつくっていくことが必要である。
このような社会システムを変えていくこと、対症療法ではない根源的なアプローチは、個別企業や個別自治体のみの取り組みでは困難がつきまとう。また根源的変革を理解していない現在の日本政府や、省益を優先する縦割りの官僚機構から、このようなイノベーションが始まることは期待できない。

地球温暖化のみをとってみても、世界や生態系に大きな打撃を与えないためには、マイナス6%ではなく、2050年までに「先進国」全体でマイナス60%、2100年までに世界全体でマイナス75%を達成しなければならないとされている*。日本は京都議定書の目標さえ守れそうにないが、すでにドイツは2025年までにマイナス45%、デンマークは2030年までにマイナス50%、イギリスは2050年までにマイナス60%の目標を立てて戦略的な取組みを開始している
この、行き詰まりが見える日本社会を変え、世界にも貢献できる社会にしていくためには、NGOがその機関車になる必要がある。さらに行政、事業者や地域組織との協働のコーディネーターとしても八面六臂の活躍をみせなければならない。なにも身の丈に合わない行動をしよういうのではない。NGOの活動は、最初は例え小さなものであろうとも、根源的なアプローチや社会システムを変革することに繋がるものとして戦略的に組み立てていくことが求められている。
NGOはまだまだ日本社会ではマイノリティー(少数者)である。しかし嘆くことはない。人類の歴史上、重要な社会変革は多数者からではなく、つねにマイノリティーが起こしたのだから。

*IPCC(気候変動に関する国際間パネル)第3次評価報告書から、数字は全て
1990年比