「フェアトレード」がなくなる日 | 認定NPO法人 環境市民

「フェアトレード」がなくなる日

このコーナーでは、ウェブやメールマガジンの企画運営を行っている「電子かわら版チーム」メンバーのコラムを紹介しています。一緒に企画運営をしたいボランティアも随時募集中です。関心のある方は京都事務局まで。

「フェアトレード」という言葉が日本でも少しずつ浸透し始め、
「エシカル消費」という単語も聞かれるようになってきました。
「フェア」といい、「エシカル」という、
その言葉について考えてみます。

今回のコラムを担当する「はるかぜ」は、
本業としてフェアトレードコーヒーの販売をしています。
この10年ほどの間で、日本における「フェアトレード」という言葉の広がりを、
実体験してきた一人です。

途上国での生産物の代表的存在でもあるコーヒーですが、
長くその生産現場のことが顧みられることはありませんでした。
先進国で安価にやり取りされる農産物やその加工品の向こう側で、
自分たちの生活も将来設計もままならない人たちがいることを、
想像することなく過ごしてきた面があります。

そういう形を少しでも是正し、
作り手も売り手も買い手も、それぞれが暮らしていけるようにしよう、
というのが「フェアトレード」の大雑把な説明になるでしょうか。
一般に「フェアトレード」というと、
先進国と途上国における貿易が対象ですが、
「フェア」な取引かどうかという問題は、
何も先進国と途上国の間だけではなく、
同じ日本の生産現場と消費の場でも見受けられることです。

最近環境市民でも力を入れている「エシカル消費」も、
根本の部分は同じことを言っているはずです。
ちなみに「エシカル」はここでは、
「倫理的な」とか「モラルにかなった」といった意味で使っています。

このような活動の最終的な目的は、
「フェアトレード」や「エシカル消費」「エシカルな買い物」という言葉そのものが
存在しなくなることではないか、と思っています。

そもそも「トレード」「消費」「買い物」といった単語の前に、
「フェア」とか「エシカル」と前置きをしなければならない、
ということが不自然な状態なのですから。

「貿易」をするにせよ「買い物」をするにせよ、
「生産」であれ「消費」であれ、
当たり前のようにフェアでエシカルであればいいな、と思う昼下がり。
(はるかぜ)