市民活動の未来を拓くセミナー第3回「地域に活動を広めた事例」報告その1 | 認定NPO法人 環境市民

市民活動の未来を拓くセミナー第3回「地域に活動を広めた事例」報告その1

このコーナーは,2002年から2013年まで環境市民の事務局長を務めた堀孝弘が,在職時に書いたブログを掲載しています。

市民活動の未来を拓くセミナー第3回「地域に活動を広めた事例」報告その1

事例報告 朴 恵淑さん(三重大学副学長・理事)

三重方式でのレジ袋の削減
平成19年(2007)伊勢市でレジ袋の無料配布停止・有料化協定がスタートし、今年(2012)4月、三重県内で最後に残った菰野町で紳士協定が締結され、県内全市町村でレジ袋有料化協定が締結されることになった。市町村ごとに地域の市民団体や事業者、行政が集って話し合い、協定を結び、それを県内に広めていくやり方を「三重方式」と呼んでいる。県によっては、知事の一声で県内全域に広めた地域もあるが、紳士協定を積み重ねている三重県では、協定が破棄されたり後退することはない。三重と同じようなやり方は、熊本県、大分県他、九州7県や四国4県に広がりつつある。
しかしながら、最初は2007年1月の京都市だった。京都市と市内に店舗をもつ3事業者、市民団体で協定を締結し、レジ袋有料化を地域協定という形で実現した。ただ、京都市の場合、市内の一部事業者との協定締結であり、その後の地域浸透で苦労している。三重県が示した経験は大きなカギになる。

なぜ、レジ袋削減に取り組むのか
世界的にみて化石燃料の消費が増えている。わずか10年数前と比べても、世界の夜景が明るくなっているのがわかる。化石燃料の大量消費の結果生じる地球温暖化(気候変動)を食い止めないといけない。気候変動は異常気象をはじめ人類にとっても脅威だが、生物絶滅を加速させ、生物多様性にも大きな脅威を与えている。
地球温暖化(気候変動)を防ごうと、1997年12月京都市内で開催されたCOP3 温暖化防止京都会議で、京都議定書(Kyoto Protocol)が採択された。このなかで、1990年を基準年として、二酸化炭素(以下CO2)をはじめとした温室効果ガスの排出量を、2008〜2012年の平均が6%減にすることが日本の目標となった。
それをどう達成するか。日本全体でみた場合、最近では不況や大震災の影響もあり、温室効果ガスの排出量は減っているが、2007年まで温室効果ガスの排出総量は増え続けた。三重県の場合、工業都市四日市や鈴鹿の本田技研、亀山のシャープなどあり、人口のわりに産業の占める位置づけが大きい。それでもCO2の排出源をみると、家計関連が占める割合も20%を占め、決して少なくない。地球規模の問題だが、足元から行動を起こしていかないといけない。
ただ、政府が2007年に国民に向けて呼びかけた「1人1日1kgのCO2削減運動」のような活動には限界がある。たとえば「夏の冷房では、エアコンの設定温度を28度に」と言われても、人によって感じ方が違う。28度では不快だという人もいる。他のコマメな取り組みをいくらがんばっても1日1kgにならない。楽してCO2を減らす方法はないか。そのひとつがレジ袋の削減である。

レジ袋削減の効果
エコバック(買い物袋)の方が、環境負荷が大きいという人もいる。しかしエコバックは何度も使える。「レジ袋を作っている人の仕事を奪う」という人もいる。別の袋を作ることや、バイオプラスチックの利用などもできる。「サービスの低下」という人もいるが、レジ袋は無料でもサービスでもない。広く薄く商品代にレジ袋の費用を含ませている。
三重県内でレジ袋がどれだけ使われているか。そういった統計はない。全国の使用量から人口比で三重県内のレジ袋の年間使用量を考えると、年間約5億6千万枚と考えることができる(日本の年間流通量約300億枚)。一人あたり年間約300枚となる。
これだけのレジ袋を作るのに、原油約1,120万リットル(200リットルドラム缶約5万6千本)を使う。1枚あたりでは原油約20ml。CO2の排出量でいえば1枚あたり約100g。LCA的にはレジ袋を使わなければ、エアコンを使うことができる。
三重県内で使われるレジ袋から排出されるCO2は約56,000トンと推定できる。これは、三重県の年間CO2排出量約2,500万トンの0.22%にあたる。0.22%を大きいとみるか、少ないとみるかはそれぞれだが、ここからスタートをすることができる。

伊勢市での取り組み
伊勢市はレジ袋の削減に向けた取り組みに熱心だった。2002年には市内全戸に買い物袋を配布し、買い物時の持参を呼びかけることもしていた。そういったこともあり、2002年以降、レジ袋辞退率は30%前後を推移していた。
私は、伊勢市と以前からつながりがあり、市長に「レジ袋有料化を進めよう」と持ちかけたが、当初は乗り気ではなかった。だが、市内に店舗のあるイオンは、2010年までにレジ袋を80%削減するという目標を立てていたこともあり、伊勢市内のスーパー(生協を含む)とレジ袋無料配布停止と有料化を検討する「ええやんか!マイバック(レジ袋有料化)検討会・伊勢市」が設置され、私はその会長となった。レジ袋有料化の検討が進み、スーパー店頭や街頭でも「ええやんか!マイバック いらんやんか!レジ袋」を呼びかけ、レジ袋の辞退率が数%上がった。しかしそれ以上大きく上がらなかった。
1年ほど、伊勢市で会議がある時は帰宅が深夜1時、2時になった。そうこうするうち、京都市に先を越された。ただ、伊勢市の場合、京都と違い、市内全域のスーパーを対象としたところが全国初であり「伊勢モデル」と銘打った。最後は行政トップの判断が大切。行政が「ごみを減らす」ことを目標として明確に示したこともあり、伊勢市内スーパー7社(生協含む)と、2007年9月21日をもってレジ袋無料配布停止と有料化を実施することで合意し、伊勢市と市内の市民団体とともに協定を締結した。
実施後の成果として、それまで伊勢市内で年間3,900万枚使用されていたと思われるレジ袋のうち、90%近い3,500万枚が削減された。原油換算すると70万リットルにもなる。また、有料化によって生じたレジ袋代金70〜80万円は、伊勢環境活動基金として活用されることになった。

三重県内への広がり
伊勢市に続いて、翌2008年7月伊賀地域(伊賀市と名張市)で、レジ袋有料化が実施された。これは市町村を越えた広域での実施では初めてで「伊賀モデル」と形容できる。さらに同年11月には、松阪市をはじめ、多気町、明和町、大台町、玉城町、大紀町、1市5町で実施された。当時国内で最も広域での実施となり、「松阪モデル」と呼ばれた。
レジ袋有料化は、2〜3年は勢いよく県内各地に広まっていった。しかし、四日市市ととなりの菰野町でとどまった。行政の理解には濃淡がある。そういった場合、まわりの市町で、市民と行政、事業者が手を組んで進めているのを見た住民が「おかしい」と声をあげる。
四日市市のとなりの朝日町、川越町で実現してから、最後に残った菰野町で有料化が実現するのに丸2年かかっている。焦るのは禁物。住民が声をあげ、市民と事業者の協定で進めていくのが良い。知事の一言で広めた地域は、事業者の抵抗があれば後退している。

認識共同体へ
三重県が、四日市公害県から環境先進県になるために、様々な主体のゆるやかなネットワークと役割分担が必要である。1対1でなく、様々な立場の多くの主体の参加が必要である。誰かが犠牲になるものではなく、Win-Winの関係が必要。
そのなかで、三重大学は、全国青年環境連盟(エコ・リーグ)主催のエコ大学ランキングで、2010年1位を獲得した。2009年には学内のコンビニエンスストアでレジ袋ゼロを実現し、容器包装3R推進環境大臣賞優秀賞を獲得した。レジ袋の次は、箸、ボトルなどをどうするか、学生たちに考えさせたい。

感想・得られた教訓
 

■伊勢市での成功(市内全域でのレジ袋有料化を初めて実現)要因
・地域住民の自分たちのまちに対する愛着・誇り
伊勢市は、伊勢神宮とともに発展した、ある意味特別なまちであり、地域住民に、自分たちのまちに対する愛着や歴史への誇りが強くあったと思われる。
・首長、行政の意思
有料化実施の前からレジ袋辞退率が30%前後あったが、全戸に買い物袋を配布するなど、成功の背景には、もともと行政による熱心な働きかけがあった。
・10万人規模のコミュニティ
伊勢市の人口は約13万人。ある程度の経済規模があり(複数のスーパー等がある)、一方、事業者と市民団体、行政が、互いに顔の見える関係を構築しやすい人口規模であったと考えられる。

 

■ 「伊勢モデル」と銘打つことでの達成感創出と、他地域への波及
・特別なことを実現したという達成感の創出
協定によるレジ袋有料化の実現という点で、京都市に先を越されたが、京都市との違いを打ち出し「伊勢モデル」と銘打った。そのことで、特別なことが実現されたという達成感を創出した。
・他地域への普及の勇気を与えた
また、「〜モデル」と形容することで、伊勢市だけにとどまるのではなく、参考事例として他地域にも「同様のことができる」という勇気を与えた。

 

■伊勢市以降、県内に広まった理由
・伊勢市以降に実現した地域にも「全国初」を見いだし、「〜モデル」と形容
伊勢市以降も、「伊賀モデル」「松阪モデル」など、さまざまな「モデル」が創出された。伊勢市は「全市規模でのレジ袋有料化実現で全国初」、伊賀は「複数の自治体による広域導入で全国初」、松阪は「周辺の多くの町を含めた導入で全国初」などだが、「〜モデル」と形容されることで、「特別なことが実現した」という達成感を、伊勢市だけでなく以降の地域も得ることができた。2番目、3番目と続いた地域への敬意と尊重が、以降に続く自治体に勇気を与えたと思われる。
・様々な地域事情に応じた「モデル」の創出
自治体ごとに様々な異なる状況があるが、「伊勢モデル」「伊賀モデル」「松阪モデル」など、参考となるモデルが複数あることで、以降の地域の実現可能性を高めた。
・短期間で少数派から多数派になった。
伊勢市以降、1年少々の期間で、県内4地域でレジ袋有料化が実現した。これより以降、実施しない自治体・地域では、地域住民から「うちの地域で実現しないのは、おかしい」という突き上げの声が出るようになった。
・10〜20万人規模のコミュニティ力
三重県内には大都市がなく、四日市市を除き、県庁所在地の津市でも人口30万人に満たない。レジ袋有料化の実施を検討した地域は、多くの場合10〜20万人規模である。伊勢市での成功要因にもあげたように、スーパー等の店舗と地域の市民団体や行政が顔の見える関係を築きやすい状況があったと思われる。
・朴恵淑さんの働き
伊勢市「ええやんか!マイバック(レジ袋有料化)検討会」の会長を務めて以降も、各地のレジ袋有料化議論を牽引するキーパーソンとして活躍された朴恵淑さんだが、三重大学教員だけでなく、三重県地球温暖化防止活動推進センターの理事長としての立場も持っておられた。そのことが、県内全自治体と各地の市民団体とのパイプ構築に役立った。
・県のバックアップ
県内自治体でのレジ袋有料化の状況を、三重県のWEBサイトで掲示するなど、県もこの事業をバックアップした。

以上