震災被災地の農業復興支援と菜の花での除染実験 | 認定NPO法人 環境市民

震災被災地の農業復興支援と菜の花での除染実験

このコーナーは,2002年から2013年まで環境市民の事務局長を務めた堀孝弘が,在職時に書いたブログを掲載しています。

  9月30日から10月3日にかけて、 東北の震災被災地への農業復興支援ボランティアに行ってきました。

主催は、しがNPOセンター。東北被災地への農業復興支援と菜の花による除染実験を目的に、現地での菜種の種まき作業ボランティアを募られ、約20名が参加しました。堀は大学2回生の息子と参加しました。

行き先は福島県須賀川市といわき市です。須賀川市は3年前から、菜の花プロジェクト全国ネットワーク代表の藤井絢子さんの講演を機に菜の花プロジェクトに取り組まれ、市民からの廃食油回収とBDF化とあわせて取り組んでいます。
須賀川市は内陸都市ですが、市内の住宅・建造物の50%以上が一部損壊以上の被害が出て、市役所も全損(今も市内の体育館で業務をされています)状態になりました。地震によって上水用ダムの堤防が決壊し、多くの方が亡くなられるなど、大きな被害が出ていました。
震災後、被災地では燃料不足が深刻化し、多くのまちで、ごみ収集もままならない状況になりましたが、須賀川市も例外ではありませんでした。緊急時ということで、BDFの使用比率を通常より高め、震災後も一日も休まず、ごみ収集ができたとのことです。震災被災地で、おそらく唯一だろうと市の担当者はおっしゃっていました。市長も我々の訪問の場に出て来て下さり、その話にウンウンと自慢気にうなづいてらっしゃいました。

 

廃食油の回収量と菜の花から採れる油はほぼ同量だそうで、菜の花から採れる菜種油は、震災前は学校給食でも使い、一部をBDFにされていました。廃食油は京都のように学区ごとに住民による回収組織があるのではなく、市内9カ所のスーパー等に回収拠点を設け、そこで市民から回収しています。
菜の花の栽培面積は年々拡大してきました。須賀川ではそばと輪作で栽培されていて、10月中旬頃、そばを収穫し菜種をまくのだそうです。須賀川には、滋賀で採れた菜の花の種子を持っていきました。

 

市民から廃食油を回収しBDF化するのは、(株)ひまわりという事業者が市から委託をうけて実施しています。ここは郊外の工業団地に立地し、かなり広い敷地を有していますが、BDFプラント自体は小さなものでした。プラント自体は小さなものでしたが、「我々がやっている事業は、環境に配慮した事業なので、プラントと事務所で使う電力をすべて自然エネルギーで賄おう」と、事務所社屋の上に発電容量50kWの太陽光パネルを設置しています(一般的な家屋用の10数軒分)。また、営業車にもBDFを使っていました(一部、電気自動車)。
この会社はもともと下水管清掃から事業を起こし、現在もそれに取り組んでいるため、大量の水を必要とします。水道水を使えばそれでCO2排出量を増やしてしまうと、天水利用をされています。それが半端なものでなく30トンタンクを2つ設置しています。ほぼこれに貯留できる雨水で必要な水をまかなっているとのことでした。
さらに「自分たちにできることはないか」と、事務所内の暖房にもペレットストーブを導入し、再生可能資源を使っています。最初カナダ製のストーブを導入されましたが、「国産を使いたい」と2台目は、埼玉県の金子農機という会社の製品を導入されています。ペレットは当然東北産です。事務所の蛍光灯にもひもをつけ、ひとつずつ点灯できるようにされています。

自分たちにできることを、社長をはじめ社員皆でアイデアを出しながら、ひとつずつ広げてらっしゃる姿勢が素晴らしかったです。連れていった息子が1番触発を受けたのがこの会社の姿勢だったと言っていました。

 

いわき市には、農業復興支援で行きました。事故を起こした原発に近く、食用作物を作ってもなかなか売れない状況がしばらく続きそうな状況のなか、当面、菜種を植えてBDFとして活用してもらい、いずれ折をみて食用作物に転換してもらおうというプロジェクトです。菜種を栽培した場合、葉や茎、根には放射性物質が取り込まれますが、採った油には放射性物質は出ないとのことです。葉、茎、根の処分はまた問題となりますが、農地の除染には貢献できます。また、油を燃料として使うことも問題なく、当面そのような使い方をしてもらおうというものです。菜の花プロジェクトの藤井さんは、これを「農地のリハビリ」と表現されていました。
菜種をまくこと自体、たいした作業ではありませんでしたが、帰り際、現地の生産者組合の代表の方が、「我々だけではどうにもならず、どうしようかと思っていたところに、遠く滋賀から、大勢来ていただき、種まきを手伝ってもらい、ありがたかったです。我々もがんばっていこうという気になりました。」と言ってくださったのが、とても嬉しかったです。

帰り道、バスで海岸沿いを進み、津波被害の現場をみました。堀が被災地に行くのは3度目ですが、息子にとっては初めて見る光景で、ショックだったようです。非被災地で暮らす私たちも、同じ国で生きる者として、いっしょに背負っていく現実ですから、息子に見せておきたかった光景です。この景色を心に刻んで、またバスに乗りました。

 

菜の花プロジェクト全国ネットワーク代表の藤井絢子さんは、国の中央環境審議会・水環境部会委員も務めるたいへんお忙しい方ですが、4日間まるまる参加されました。1泊4日の東北行きでした。

 

本ブログの他の回も、ぜひお読みください。前回案内させてもらった「地域でつくった容器包装2R事例発表会のご案内〔10月28日〕」にも、どうぞご注目ください。