21世紀、地球を、地域を、生活を、持続可能な豊かさに
4 パートナーシップ 住民参画
文:杦本 育生
日本は戦後、経済は民間企業、公共的課題は行政、生活は家庭という分割をしてきた。敗戦後の貧しさから立ち上がり、経済を豊かにし、社会を築き上げていく方法としては、悪くなかったかもしれない。しかし、このことにより、人々は地域社会や政治への関心を失っていった。そして公共のことは政府や自治体依存になってしまった。
さらに時代は大きく変わり、上述したような様々な課題に取り組むには、行政の人的、財政的能力だけでは無理な状況になっている。地域づくりに住民の力は不可欠となっている。また、本来の民主主義社会は、住民が主人公であるということは、公共の仕事の責任も権利も住民にあるはずである。自治体や政府は、その住民の請託を受けて代行しているのであると考えれば、住民が地方自治に参画することは、むしろ当然の義務であり、また権利でもあるとも考えられる。地域づくり住民参画が必須である。ただ参画の手法、そして参画する人づくりがないと住民参画は、形式に陥ってしまう。
ここ10年ほどの間に「パートナーシップ」という言葉が、急速に行政や住民団体にひろまってきた。多くの自治体がパートナーシップが重要視しだした。パートナーシップを本質的に実施できるようになれば、行政、住民団体、事業者が個々にはできないことも相乗効果により可能になる。しかしパートナーシップの本質的理解と実際化はこれからという状態である。パートナーシップ事業と言われるものの多くは、行政主体の事業への、住民の参加、協力に過ぎない。その大きな理由としては、パートナーシップを担う人間の不足と手法の普及がすすんでいないこと、そして従来の行政手法を変えることや住民参画ヘの漠然たる恐れである。パートナーシップをなぜ行うのか、それをもし一言で表せば「シナジー(相乗効果)を期待している」ということになるであろう。例えば市民セクター、行政セクター、企業セクターの三者が環境問題の解決に向けて各々「1」の活動を行い「1」の成果 をあげたとしよう。もし互いの活動に何の重なりも影響もないとすれば、社会全体としての成果は1+1+1=3(左辺は活動、右辺は成果)となるであろう。しかし互いの活動に重なりがある場合、また影響を及ぼしあう場合には、成果は3とはならない。うまくいけば3よりも大きくなるし、へたをすれば3にもならない。繰り返しになるが、パートナーシップは各々のセクターによる活動がプラスの相乗効果をあげ、成果が3よりも大きくなること、うまく機能すれば1+1+1=10にもそれ以上にもなることを狙ったものである。
これを逆に考えれば、相乗効果が期待できないならば、あえてパートナーシップを結ぶ必要はないということである。実際、パートナーシップを目指したものの失敗に終わり、その活動にかかわった市民、行政、企業に不信感ともう二度と一緒に活動などしたくないという気持ちだけが、残ってしまう場合もある。これではマイナスの相乗効果である。
パートナーシップの成功は端的に言うと民主主義の成熟度によるであろう。ただ、現状の成熟度だけでパートナーシップの可否を云々するのは早計である。パートナーシップ活動の現場こそが民主主義を成熟させる場でもあるから。さて パートナーシップの成功要件を簡単にまとめておこう。
ア 違いを生かす
相乗効果を期待するということは、そのパートナーとなる各主体の特性、能力をうまく生かすということである。違いのないところにパートナーシップは生まれない。
イ 対等であること
相乗効果を発揮するためには、各主体がまさに主体的に行動する必要があるが、そのためには対等に参画し、その活動の目的と責任も自ら認識できなければならない。対等性は主体性を引き出すキーである。
ウ 活動目的の合意と共有化
活動の目的、達成目標について具体的に合意するため、きっちりと協議することが求められる。その中で主たる目的、達成目標については共有化をする必要があるが、それとともに共有化はしないで、各主体で異なる目的、達成目標が存在することもしばしばありえるが、その場合に各主体が相互に理解していることが必要。
エ 信頼感と緊張感のある関係であることと情報開示
パートナーシップを組むことで、各主体間に信頼感が熟成されていくことは望ましいことである。ただし緊張感のない馴れ合いになってしまっては、互いの違いを生かし相乗効果を生むということも少なくなり、パートナーシップの意義は薄れる。また対等であることを保つためにも緊張感は必要である。また、信頼を築くためにはその活動に関し各主体がもっている情報は基本的に公開し提供することが肝要である。