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派兵ではない、貢献と国際協力を 〜 イラク派兵問題
環境市民「みどりのニュースレター2004年1月号(128号)」より
特定非営利活動法人 環境市民 理事会
イラクへの「派兵」が決定されてしまった。アメリカ、イギリスのイラク戦争が始まったときに、戦争は持続可能な社会を築くことにあらゆる意味で反する行為であることをこの紙面ですぎ本(代表理事)は述べた。簡潔に振り返っておきたい。
戦争は、最悪の環境破壊行為であることは、過去の事例で明らかである。
戦争は、最悪の人命軽視であり、人権破壊であることも明白すぎる。
戦争は、有限な資源と資金のばく大な浪費であることも論をまたない。
戦争は、憎悪の悪循環をもたらす。
戦争は、私たち人類が真剣に取り組まなければならない課題から目をそらさせ、また取り組む時間と労力を奪う。
イラク戦争も、これらのことがすべて当てはまってしまうことは、開戦後、日々入ってくるニュースを見ればわかる。そして非常に重要なことだが、イラク戦争はまだ終わってはいないということである。戦争の終結は、当事国が降伏文書、終戦文書に署名することによってなされる。イラク戦争ではブッシュ米大統領によって「大規模な戦闘の終結宣言」が一方的にされはしたが、戦争状態は終結してはいない。これは国連がイラクの現状を軍事占領状態であると認識していることからも、また宣言後の米兵死傷者数が、それ以前を上回っていることからも明白である。また、あれだけブッシュ政権のイラク戦争を擁護してきたアメリカのメディアも、最近はイラクで起こっている「テロ」をレジスタンス=抵抗運動と言い換えるようになっている。
戦争状態にある国に軍隊を出すことは「派遣」ではなく「派兵」である。小泉首相は、イラク派兵の正当性を訴えるために、憲法の前文を部分的に我田引水したが、憲法前文は「平和主義・戦争放棄」「民主主義」「基本的人権の擁護」を日本国の理念として宣言したものであって、全くの曲解であると言わざるを得ない。
イラク派兵に関して「死傷者が出たらどうする」「派遣時期はいつか」「非戦闘区域があるのか」「国内でテロを防げるのか」というような議論がなされている。必要な議論ではあるが、問題の根幹を問うてはいない。根幹は、戦争や暴力に対して私たちはどのような態度をとるのか、国際的な協力はどのようになすべきなのか、ということであろう。小泉首相は、イラクに派兵することが平和を築くことであり国際協調である、イラクへの派兵を行わないことは、テロに屈することであり国際社会から理解されない、と強調した。しかし現実はどうであろうか。国連加盟国の中でイラクに派兵している国は30余であり、常任理事国である中国、ロシア、フランスを含めて、大多数の国は派兵してない。国際協調をいうならば派兵しないほうがより多数なのである。もちろん、テロはいかなる理由からも肯定されるものではない。しかし戦争も、軍隊による占領も同様である。暴力に暴力で対抗することは、新たな暴力と憎しみ、そしてその拡散を生むことはイラクに現実に起こっている。
日本が、そして世界がとるべき行動は、暴力に対して毅然とした非暴力で臨むことである。非暴力とは弱腰ではない。インド独立を成し遂げた故ガンジーが示すように、暴力で対抗するより大きな勇気、強い意志、実行力が求められる。軍隊を派兵しない手段で、イラク人の主権を尊重しながらイラクの平和と社会と経済を回復する努力を、国際社会に理解と協力を求め、最大限行うことが日本政府や日本の人間に求められていることである。また大多数のイラクの人々が望むことは、このようなことであり、イラクの占領統治に対して加担することではない。
(記:杦本 育生)
環境市民は、環境問題に取り組む自発的な市民の集まりですが、究極の目的が「持続可能な社会」を築くことにあるので、このような声明を理事会として出すことにしました。